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歌会始の「歌徳」と国民統合


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歴史のことば劇場23
歌会始にみる「歌徳」の伝統

歌会始講書始(※ご進講)は極めて大事」(上皇陛下)とされますが、
一般的に歌会始は、室町後期の歌御会始(うたごかいはじめ)(1503)から定着し、
現在のような、
貴人以外の一般人による詠進(えいしん)は、明治七年(1874)に始まったとされます。
このため、歌会始は、近代の産物と見る人もいます。
しかし同年の『明治天皇紀』には、
「従来御歌会始に詠進する者あれば、一般国民の歌と雖も採録して叡覧に供するを例とす」とあり、
近代というよりも「従来」からの例式を引き継ぐものでした。
また、毎年約二万首の歌が全て天皇の御覧に供されるのは、
万葉集の東歌(あずまうた)や
勅撰集の「読人しらず」として庶民も選歌される伝統、
あるいは「貴賤と云ひ聖凡と云ひ、和歌を以て情を通ぜざるなし」(前参議教長卿集)、
「仏と云ひ神と云ひ、和歌を以て情を通ぜざるなし」(古今和歌集教長註)といった、
身分階層などの差を超えて仏神の心にまで通じる「歌徳」の原理(小川豊生)
を継承したものといえます。
さらに、
「和歌は我国の風俗なり」(賀陽院(かやのいん)水閣歌合)
という王朝和歌の表現は、
古代律令制の崩壊や社会の変容を受けて、
統治できる領域を越えて諸国の風俗の多様性や差異などを包摂する
「高次の和俗」の表明(小川)と言われます。
これと同様に、
現在の象徴天皇制度も、
帝国憲法が「統治面と象徴面の両面を持っていた」のに対し、現憲法は「象徴のみを残した」(清宮四郎)
といわれるように、
象徴天皇による歌会始とは
「統治」を超えた「国民統合」をもたらす意味がある
と考えられるようです。

また歌会始では
「としのはじめに―イ」などと独特の発声法で詠み上げますが、
和歌とは本来、
文字で読むというより声を聴くものであり、
共同の場で同じ歌を聴いて交感する共同体の文学でした。
それは近代文学のような個人の感情や思想を訴えるものとは違い、
他者との交感や共感を、
自らの身心へと受け入れるものだといえます。
そうした、
自分ではない、他者の声を聞くことは、
「自―他、内―外、能動―受動という区別を超えた相互浸透的な場に触れる経験」(鷲田清一)であり、
じっさい、介護ケアの現場における「聴き取り」は、
相手との呼吸を合わせることから始まるといわれます。

哲学者ロラン・バルトは、
「《私のいうことを聞いてください》というのは、
《私に触れてください、私の存在することを知ってください》ということだ」
と論じました。 

古来、天皇が統治することを
「聞し召す(きこしめす)」といい、
それはまさに「聞く」の尊敬語であるように、
天皇は、和歌を聞くことを通して、
癒し切れない、人々の痛みや苦しみ、
思いを「聴き取り」、
国民との間で「呼吸を合わせ」「触れ」「その存在を知って」きました。
また
両陛下による被災地などへの御訪問は
「一度行って、それで終わりということは決してない…
訪れたあとも、いつまでもその地のこと、その後の人々の生活のこと、
復興のことを気にかけておられる。
そんな歌が数多くあります」
そうした歌会始には、
他者の声を聴き、呼吸を合わせ、
触れ、存在を知ることで、
統治を超える国民統合を実現するという、
象徴天皇による「高次の和俗」あるいは「歌徳」の伝統の存在が、
明らかに見てとれるのではないでしょうか。
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