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「象徴」と立憲主義㊤

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歴史のことば劇場㉑

「象徴」と立憲主義(上)                                                  
天皇陛下が、即位の礼において、
上皇陛下が「その御心を御自身のお姿でお示しになってきたことに改めて深く思いを致し…
国民に寄り添いながら、憲法にのっとり…象徴としてのつとめを果たすことを誓います」と述べられたのは、
例えば、
次のようなお言葉を受けたものと思われます。

天皇が国民の象徴であるというあり方が、理想的だと思います。
天皇は政治を動かす立場にはなく、伝統的に国民と苦楽をともにするという精神的立場に立っています。
このことは、疫病の流行や飢饉に当たって、民生の安定を祈念する嵯峨天皇以来の天皇の写経の精神…、
「朕、民の父母と為りて徳覆(おお)うこと能わず。甚(はなは)だ自ら痛(いた)む」という後奈良天皇の写経の奥書などによっても表されていると思います」(昭和61)

上皇陛下は、皇太子時代から、
「国民の象徴」が伝統的な天皇のあり方であると繰り返し説明され、
昭和天皇と比較しても明らかに多く(畑瀬源)取り組まれました。
また、徳仁親王殿下(当時)への教育についても、
「…日本の文化、歴史とくに天皇に関する歴史は学校などで学べない…それをこちらでやっていく」、
「自分自身の中に…次第に形作られてくる」とも語られました(昭和52)

そうした「象徴」の歴史的なとらえ方は、敗戦後、
法学者・尾高朝雄が展開した
「ノモス主権論」と通じる面があります。
尾高によれば、
古来国民が求めたものを「現実政治の葛藤を超越する純粋理念の高みにおいて…適切に表現している」のが新憲法の象徴である。
日本の伝統によれば、
天皇は「常に正しい統治の理念」を具象化して来られた。
その立場から現実政治上の夾雑物を除いたものが「象徴としての天皇」である。
それは、民主政治を単なる多数決の政治とせず、
国民の総意の形として行うこと、
形のない国民全体に、姿のない原則を与えること、
「歴史の伝統を断絶せしめることなしに…歴史の伝統にまつわる宿弊を洗い浄めたところの、新しい時代にふさわしい天皇制の姿に外ならない」

いっぽう
尾高を批判した宮沢俊義は、
敗戦によって主権の源泉が天皇統治から「人民の意思」へ変わる「憲法上の革命」が起こった(八月革命説)
と論じました。
しかし、尾高の主張は、
最近の研究によれば、
宮沢の革命説の〈主権論=絶対主義イデオロギー〉に対抗する
〈反主権論=立憲デモクラシー〉の構想(石川健治)といわれます。
また立憲主義も、
近年では、
単なる法による公権力の統制や権力分立にとどまらず、
憲法の逐条を超えて社会全体や個々の利益に妥当する政治道徳の側面を持つとされます(長谷部恭男)。
通常、立憲国家には、
権力分立の統治構造の部と基本的人権の保証の部の両面がありますが、
たとえば、
イギリスでは不文の憲法を基礎として舵取りされてきました。
そのため、基本的人権も、その不文の憲法にもとづき伝統的に守り続けて来たのであり(阪本昌成)、
じつは基本的人権や自由とは、
この不文律の歴史伝統にしたがって守られてきた側面があります。
また、尾高によれば、
議会や政府で作られる法令は、
皆が従うべき「法の理念」に支配されており、
その主権を超える立憲デモクラシーのノモス(法の理念)を体現しているのが、
「象徴」としての天皇でした。
いうならば
上皇陛下も、尾高も、
「象徴」とは伝統と相反せず、
政治的次元を超えるというだけでなく、
新・旧憲法の間の断絶よりも
近代以前からつづく天皇の長い歴史の上から
精神的・道徳的な国民統合としての天皇の役割を見出していた
といえるでしょう。
そうした意味では、
「国民に寄り添う」象徴には、
歴史的な立憲主義と法の支配の「象徴」という真意が見受けられ、
その在り方がいま
上皇陛下から天皇陛下へと
たしかに受け継がれた
と考えられるのではないでしょうか。
(つづく) 
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