doi_iku’s blog

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八月革命説を超えるもの

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歴史のことば劇場⑳

▼八月革命説が通説でなくなる日
                                                       
「即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」
平成28年8月8日「象徴としてのお勤めについてのおことば」)

こうした上皇陛下の「象徴」の語り方には、
ある憲法学者の説が影響しているとの見方があります。
憲法
天皇は、この憲法の定める行為のみを行」う(4条1項)と規定します。
もちろん国事行為以外にも多くの「象徴」としての公的行為がありますが、
八月革命説で知られる宮沢俊義は、
「国家機関としての天皇」のみを論じ、
国事行為以外の全ての公的行為を憲法違反と論じました。
宮沢の違憲論は、
師匠・美濃部達吉天皇機関説の「戦後版」ともいわれ(石川健治)、
いっぽう、
同じ美濃部門下の清宮四郎は、
昭和28年、
お言葉やご巡幸などは国事行為でもなく、私的行為でもない
「象徴としての地位」の行為とする合憲説を示します。
この清宮による象徴的行為説が、政府解釈につながり、
現行の国事・公的・私的の三分説につながりました。

宮沢の「機関説」にいわば勝利した清宮は、
じつは八月革命説を批判した
「ノモス主権論」の尾高朝雄の盟友でした。
ノモス主権論とは、
いわゆる法の支配の理論の一種であり、
主権論による「力の政治」や「数の政治」の絶対主義を否定します。
尾高によれば、
帝国憲法による天皇統治であれ、新憲法国民主権であれ、
「法の理念」が主権に優位する。
その法の理念やノモスの支配こそが
力や数の政治を超えて国家に責任を与える。
これらは宮沢の〈主権論=絶対主義イデオロギー〉に対抗する
〈反主権論=立憲デモクラシー〉の構想(石川)であり、
いわば新旧憲法の断絶や国体変革論を超えて、
天皇の役割を歴史的な「ノモス(法の理念)の体現者」と理解することで、
新旧の機関説のごとく近代的に限定化する論理を斥けたものといえます。

かつて高柳賢三は、
「象徴」を元首と考えないのは、英米流の法律家が作成した現憲法を、戦前からのドイツ法的な条文中心主義で解釈し、
あたかも英文をドイツ文法で読むような「誤った解釈」である、
英国が民主的君主のモデルとされるのは「法の形式によるのではなくその運用にある」
と述べました(君塚直隆)。
鵜飼信成も、
天皇の地位が形式的なものに過ぎないか、実質的なものであり得るかは、憲法の文字だけでは決まらない」、
国民の代表者たる政府が「重大な役割」を与える場合、「天皇は実質的なものでもあり得る」、
そこに「日本国憲法の定めた本質がある」と論じました。
最近、こうした
ノモス≒法の支配や英米流の立憲主義
つまり条文拘泥主義を超える実質的運用論が
ようやく見直され、
八月革命説や主権論の絶対主義、
あるいは機関説的な形式主義天皇の矮小化は、
論理的に否定されつつあるようです。
しかしながら、
そうした再検討や見直し、それによる転換や転落は、
じつは譲位のご表明が重要な契機でした。
その意味では、
象徴としての「望ましい在り方を、日々模索し」て来られた、
その長年にわたる継続的な献身が、
憲法学者の唱える革命説や機関説や主権論を凌駕した
といえるのではないか。
つまり、
歴代天皇を範とし「国民と苦楽を共にする」といった、
新・旧憲法の断絶などの次元を超えるような
伝統的な献身の姿こそが、
尾高の言うところの、
主権論の絶対主義に優位する、
歴史的な「ノモスの体現」であった
と考えられるのではないでしょうか。
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