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世界遺産・前方後円墳と三種の神器


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歴史のことば劇場⑲

世界遺産前方後円墳三種の神器

                                                

世界文化遺産に登録された百舌鳥・古市古墳群仁徳天皇陵大阪府堺市は、

世界の巨大建造物の中でも最大級の規模を誇り、

総工期は15年8カ月、延べ680万超の人員を要したと推計されています大林組

また、

三世紀から七世紀末の古墳時代には、

大小15万とも20万ともいう夥しい数の古墳が出現したといわれ(同)

あたかも列島中が古墳建築に狂奔したかのような時代でした。

これほど大規模で継続的な事業が、

いわゆる一方的な搾取や奴隷労働だけで行われたとは考えられません。

ギリシャローマ帝国のような他民族支配や奴隷経済で成り立っていた文明のあり方とは、

かなり性格を異にする事業であったと考えられます。

近年、

研究者の多くは、巨大な前方後円墳の創始とされる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市)を卑弥呼の墓と考えます。

一般的にも、

戦闘や紛争による人々の死亡率は、未開社会の時代よりも国家成立の後の方が大きく下がるといわれ(A・ガット)、

魏志倭人伝でも、

倭国大乱」は30余国で卑弥呼を「共立」することで治まったとあります。

このため、

卑弥呼のための巨大古墳建築とともに、

戦乱は終焉し、

呪術的で宗教的な政治連合体による平和や安定の時代が現れた

と考えられるようです。

また、前方後円墳の全国的な建造は、

かつての戦闘の時代を、

どの方法よりも強力かつ確実に、大規模な交易や交流の時代へと発展させ、

平和的な社会の人々のエネルギーは、

特定の技術、流通、共通の祭祀などに集中的に投入されました。

そして人々の意識や思想は、統合され、秩序化されたと考えられます。

古代国家が、こうした前方後円墳体制(都出比呂志)とともに成立したことは明らかですが、

しかしながら、従来の考古学では「マルクス主義」の影響から「儀礼的側面を本質と考えず」、

前方後円墳を「積極的に評価する試みは活発ではなかった」、

いぜん「日本考古学が世界に問うべき研究課題」(福永伸也)といわれます。

いわゆるマルクス主義的な歴史観では、

儀礼的な統治などは主要テーマではなかったのですが、

しかし、実際の古墳の副葬品には、

鏡、剣、勾玉、

つまり、皇室の三種の神器に通じる宝器が、だいたい共通して現れます。

とりわけ、

稲荷山古墳出土の鉄剣銘などに見える

治天下大王(あめのしたしらしめししおおきみ)」の称号は、

中華皇帝が支配する「天下」とは別に、

日本列島を独自の「天下」を見て、

独立的な世界観や国家観を主張する称号でした。

この五世紀後半の「治天下大王」の号が、

後の「天皇」号へと発展します(西嶋定生ら)。

それゆえ、

本年、新天皇へと継承された神器は、

今から千数百年前の古墳時代の宝器に何らかの意味でつながっており、

五世紀後半の中華秩序からの離脱の傾向のみならず、

より始原的には、巨大前方後円墳の構築という、

戦乱による暴力的な世界から、

儀礼的な祭祀秩序の世界の形成へ、

あるいは、

かつてない規模の交易や交流の実現といった

国家建設・統合の当初の原理を、

まさに象徴的に引きつぐ宝器であった

と考えられるようです。


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