歴史のことば劇場34
先日行われた立皇嗣の礼は、
こうした「宣明」という内外への宣言によって
壺切御剣が授与されるというのは、古来の譲位でも、
「宣命」の宣布に従って「新帝」となり、神器が渡御されるのと同様の構造であって、
がありました(古瀬奈津子)。
官位の授与のみならず、大陸由来の儀礼、軍事、仏事にいたるまで、
また、古代律令の最上位の法は、
法にあたる日本語は「のり」しかなく(令や式などの漢字も同じ)、
「のり」とは天皇の本質に関わる(大津透)といわれます。
いっぽう、中国由来の律令法には
「非常の断、人主これを専らにす」(名例律疏)との基本理念もあり、
皇帝はあくまで専断し、臣下のように法の下には置かれず、
いわば法を超越する絶対的存在とされました。
ところが、
平安期の『貞観格(じょうがんきゃく)』(869)の序には、
「君、百姓と之を共にす。君、之を上に失ふべからず。臣、之を下に違ふべからず」とあり、
実際の施行法令では、官人・百姓(公民)と法を共有すべき存在とされました。
モンテスキューは、「法の支配」はもっぱら君主政治にあり、
共和国にはそれがないと考えていたといい(M・オークショット)、
E・バークは、権利章典の場合に見えるように、
国民が権利と自由を有することは、王位の継承と一緒に表明されるのであり、
世襲王制が異質な諸身分の集合体に統一を与える
と述べました。
彼らの論理に従うならば、
継続や継承こそが、国民の自由や権利、多様性の淵源なのであり、
けっして相反せず、関連性がありました。
じっさい令和の新時代も、
むしろ維持され、さらに進展する
と考えられるのではないでしょうか。