また「虫は 鈴虫。はたおり。きりぎりす…」
「山は をぐら山。かせ山。三笠山…」
「草の花は 撫子…女郎花。桔梗」なども同様で、
これらは自然や地理に関わるものが多く、
平安期の新撰字鏡、和名類聚抄などの類聚物(辞書類)の題目とも重なります(J・ピジョー)。
文学史的には、こうした手法は「物尽し」「物揃え」と呼ばれ、
多様な類語をあえて列記し、言葉を重ね、その配列の妙や語調によって、
美意識やイメージ、文学的な趣向などを伝えようとします。
その原型とされるのは
鹿がわが身を大君に献じ、御用を果たすとの場面、
「…頓にわれは死ぬべし 大君にわれは仕へむ わが角は御笠のはやし(※飾り、材料)わが耳は御墨の坩 わが目らは真澄の鏡…
わが毛らは御筆はやし…わが肉は御膾はやし わが肝も御膾はやし…
耆いたる奴 わが身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申し賞さね 申し賞さね」と、
角・耳・毛など鹿の身体の列と、
笠・墨の坩・筆など大君のモノの列とが「二重の物尽くし」となり、
鹿による“献身”を、一層ユーモラスに、
華やかに描きます。
物尽しは、その他にも、
古事記の神々、祝詞、和泉式部の連作和歌、梁塵秘抄、平家物語、徒然草、お伽草子、俳諧、近松門左衛門の浄瑠璃、
はては太宰治の小説にも共通性がうかがえ、日本的レトリックの一大特色とされます。
こうした文学上の手法は、科学や合理主義の影響を受けた近代小説や思想とは、明らかに対立的で、
例えば、西欧ロマン主義までの考え方では、真実の問いには、常に一つの答えが用意され、
答えには互いに矛盾はなかった(I・バーリン)といいます。
ロマン主義以前の絵画でも、
描かれる木や花の名前は明確ではなく、
ジェイン・オースティンの小説は、田舎の邸宅が主な舞台なのに、自然の細部の描写は少なかった。
三島由紀夫にとって、自然の背景は大きな意味を持たず、大江健三郎や安部公房では、もう何の意味も持っていない(E・サイデンステッカー)。
いっぽう、源氏物語で描かれる女性は、藤壺とか紫の上のように、
つねに草木や花と結びつけて語られ、
主要な死の場景は、花散る春か、
秋から冬への変化する時節に限られます。
いわば自然の推移が、我が身にまで入り込み、
登場人物がまるごと周囲の世界のなかに溶け入っています。
自然が物語や人間を支配し、操っているのであり、
この世界に住む人々にとっては、もはや社会的な状況や関係はさほど重大な意味を持っていない。
人生における死や災厄に耐えることは、あるいはもっと容易だったのかもしれない(同)といわれます。
要するに、短編小説の名手、アントン・チェーホフは、