doi_iku’s blog

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「物づくし」と自然の効用


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歴史のことば劇場35

「春は あけぼの。やうやう白くなりゆく…」
枕草子』の名高い書き出しですが、
これは助詞ハのもたらす効果を利用した手法です。
つまり「春は…」のハは、
いわゆる主格の助詞ではなく、
題目提示の助詞ハであり、
「春は(何がいいかというと)明け方がよい」と、
著者の清少納言による、趣味的な調子や主観的な態度を明らかにします。

また「虫は 鈴虫。はたおり。きりぎりす…」

「山は をぐら山。かせ山。三笠山…」

「草の花は 撫子…女郎花。桔梗」なども同様で、

これらは自然や地理に関わるものが多く、

平安期の新撰字鏡、和名類聚抄などの類聚物(辞書類)の題目とも重なりますJ・ピジョー)

文学史的には、こうした手法は「物尽し」「物揃え」と呼ばれ

多様な類語をあえて列記し、言葉を重ね、その配列の妙や語調によって、

美意識やイメージ、文学的な趣向などを伝えようとします。

その原型とされるのは

万葉集』巻十六の長歌

鹿がわが身を大君に献じ、御用を果たすとの場面、

「…(たちまち)にわれは死ぬべし 大君にわれは仕へむ わが角は御笠のはやし(※飾り、材料)わが耳は御墨の わが目らは真澄の鏡…

わが毛らは御筆はやし…わが肉は御膾(みなます)はやし わが肝も御膾はやし…

(お)いたる奴 わが身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申し(はや)さね 申し賞さねと、

角・耳・毛など鹿の身体の列と、

笠・墨の坩・筆など大君のモノの列とが「二重の物尽くし」となり、

鹿による“献身”を、一層ユーモラスに、

華やかに描きます。

物尽しは、その他にも、

古事記の神々、祝詞和泉式部の連作和歌、梁塵秘抄平家物語徒然草お伽草子俳諧近松門左衛門浄瑠璃

はては太宰治の小説にも共通性がうかがえ、日本的レトリックの一大特色とされます。

こうした文学上の手法は、科学や合理主義の影響を受けた近代小説や思想とは、明らかに対立的で、

例えば、西欧ロマン主義までの考え方では、真実の問いには、常に一つの答えが用意され、

答えには互いに矛盾はなかったIバーリンといいます。

ロマン主義以前の絵画でも、

描かれる木や花の名前は明確ではなく、

ジェイン・オースティンの小説は、田舎の邸宅が主な舞台なのに、自然の細部の描写は少なかった。

三島由紀夫にとって、自然の背景は大きな意味を持たず、大江健三郎安部公房では、もう何の意味も持っていないE・サイデンステッカー)

いっぽう、源氏物語で描かれる女性は、藤壺とか紫の上のように、

つねに草木や花と結びつけて語られ、

主要な死の場景は、花散る春か、

秋から冬への変化する時節に限られます。

いわば自然の推移が、我が身にまで入り込み、

登場人物がまるごと周囲の世界のなかに溶け入っています。

自然が物語や人間を支配し、操っているのであり、

この世界に住む人々にとっては、もはや社会的な状況や関係はさほど重大な意味を持っていない。

人生における死や災厄に耐えることは、あるいはもっと容易だったのかもしれない(同)といわれます。

要するに、
人間の価値は、特定の思想とか、
社会的関係の前で、決まるのではない、
それが決まるのは、美や自然の前で、であり、
その智恵の前で、である。
こうした美意識のもと「もう一つの世界」を生きるのが、
日本の古典文学の基本的なあり方であり、それが我々の生命力を豊かに育み、
死や災厄への耐性を培ってきたのではなかったか。

短編小説の名手、アントン・チェーホフは、
自らの手帖に次のように書き付けていたといいます。
「人の中で死ぬものは、単に五感に従属するものだけである。
しかしながらこれら五感の外にあるもの一切は、おそらく巨大で想像を絶する崇高なものであり、存在し続けるであろう」(アンリ・トロワイヤ)

この五感の範疇を上回る「巨大で想像を絶する崇高なもの」を
きわめて多様な語彙や表現で著しているのが、日本の古典文学であり、
その美意識や趣向は、
近代思想や小説と異なり、
まさに「人の死や災厄」を乗り越え「存在し続けてきた」のではないでしょうか。
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