歴史のことば劇場36
香港国家安全維持法は、いわゆる「域外適用」、中国本土ばかりか
当地に居住しない日本人や全世界の外国人にも刑罰が科されるそうで、
また同法では、禁固や終身刑どころか財産没収まで併科されるのも驚きです。
かの悪名高い、戦前日本の治安維持法でも、そうした規定は窺えず、
むしろ「国体ヲ変革シ…私有財産制度ヲ否認」(大正14)する組織や言論を罰している。このため、
私有財産の没収は法的には論理矛盾をきたします。
いっぽう、昭和戦前期の統制計画経済は、企業・個人の私有財産を著しく侵害しており、
「朕ハ我カ臣民ノ権利及財産ノ安全ヲ貴重シ及之ヲ保護シ」とある。
憲法はまさに「皇祖皇宗ノ遺訓ヲ明徴」するものとして制定され、
技術的には外国憲法を参考にしても、本体は「皇祖皇宗ノ後裔ニ胎シタマヘル統治ノ洪範」にもとづく。
もしこの「国体」から離れる状況があれば「それは間違であるとの御聖旨のもと」、
古来、根本的にそうであったものを憲法の条文で明示したにすぎない。
つまり、自由や所有権は「国体」の上から認められる、
山本によれば、こうした統制経済の著しい誤解や誤謬は
自由や所有権が本来憲法のいう「臣民の権利義務」たることを忘れてしまい、
学者が「単なる人間の権利」と取り違えてそれが「一般の考へ方となつた」点に起因する、と述べた。
統制を憲法違反、国体違反とする批判を展開した山本の著作『計画経済批判』は、
すなわち、自由とは、長期にわたる歴史的経験の成果であり、
抽象的な人権などではなく、文化遺産や慣習、信仰などからなる多元的自由が、真の普遍性を持っています。
「自由に合理的とされる基本原理を与えることは、自由の豊かな内容を排除し、自由の基盤そのものを打ち崩す。
守るべき権利に非合理な部分があればこそ、より一層自由に執着するからだ…
現実の自由とは長い間の慣習、好みなど、つまりはしきたりの自由である…〈信条〉(ここでは宗教的な信条・信仰…を排除するものではない)のみが、自由を擁護するものとなる。
自由は内側から維持されるものであり、外側から構築するつもりでいると実は内側で崩壊が進んでいる」(1976)
明らかに歴史的な≪信条≫の所産である自由を、
誤って合理的で、抽象的なものにすり替えることは、
社会的多元主義と衝突し(メルキオール)、
倫理道徳の基盤を崩し、
ひいては恣意的な立法や誤った法律解釈をもたらし、
全体主義の起源となりうることを、