歴史のことば劇場⑩
▼文明とは「制度を持続」させる「歴史的な契約」
従来の中国風の礼服や仏教儀礼を廃し、
公家のほか武士も列席したほか、
「地球儀」をも据えて、
国際社会への意識を示しました
新たに神武天皇に言及し、
神事的な小声の作法でなく、
それは、本来、
親王・諸臣・百官・天下公民民衆(あめのしたおおみたからもろもろ)を対象とする
それが五箇条御誓文の「公議世論」と連動し(岡義武)、
明治の即位礼とは、
いわば古来の伝統儀礼を引き継ぐことによって、
立憲制や近代的な法制度への道を切り拓いたものであった
と考えられます。
英国外交官オールコックは、
「日本の文明」における「制度の持続」とその効用について
次のように述べました(『大君の都』)。
「…これほど長くみごとに中世的な形態を維持してきて十分に発達した封建制をもった国民とその制度の現状は、注意深い研究にあたいする。
…日本人は、われわれの考えている意味では自由でないにしても、多くのしあわせを享受することができた。
西欧諸国の誇るいっさいの自由や文明をもってしても、
同じくらい長年月にわたってこのしあわせを確保することはできなかった…。
国家の繁栄・独立・戦争からの自由・生活の技術における物質的な進歩―
これらはすべて日本人が国民として所有し…何世代にもわたってうけついできたものである」
オールコックは、「制度の持続」による日本人の自由とは、
「西欧に見られないもの」
つまり自然法や社会契約とは異なるものと考えたようです。
しかし、E・バークによれば、
人間本来の権利とは、
歴史上のある時点で起きた契約とか、
単なる理論的な契約や法律的な概念ではない。
他者を信頼する者すべてによって再確認されていく契約、
つまり祖先の過去から現在の我々、そして子孫へとつづく
歴史的な契約にもとづくものである(R・カーク)。
自由とは、長期にわたる歴史的経験の成果であり、
抽象的な人権よりも、
真の普遍性を持つと考えました。
「もし古い心理を人々の心に留めておこうとするならば、
後に続く世代の言葉と概念でそれらを言い直さなければならない」(ハイエク『自由の条件』Ⅰ)
戦前と戦後とを全く異なる時代のように考えるのは「特殊な過剰意識」であり、
「戦後改革」と呼ばれる生活の変化の大部分は、すでに大正末から昭和初期にかけて、
完全にその原型を見せていたものでした(山崎正和『混沌からの表現』)。
高等学校の全国的な増設や専門学校の大学への昇格したのは
円本ブームが読者人口を飛躍的に増加したのもそのころでした。
私鉄と百貨店の増加は、
やがて郊外住宅やターミナル文化の都市型生活を生み、
地下鉄やタクシーの普及、電話やラジオの発明は交通と情報の大衆化を生み、大量のサラリーマンが誕生し、婦人の職場進出も本格化し、
関東大震災後の丸の内の通勤者の一割に達したと言われます。
こう考えてくれば、戦後の改革のほとんどは、
大正から昭和初期の変化の延長線上にあり、
これらが近代日本人にとって「自然で内発的な変化であったことは確実」ですが、
戦争と敗戦、占領の衝撃が、これらに「いかにも外発的な印象を与えている」と考えられます。
そして、「象徴」天皇制度もまた、
ともすれば、
占領憲法からくる「外発的」なものと考えがちですが、
歴史的には、
戦前からの「内発的」な発展の上に見ておくべきです。
そうであるならば、
「制度の持続」によって、
皇位の継承とともに国民の自由、権利、繁栄が、「他者を信頼するものすべてによって再確認」され、
多様性と普遍性とを同時にもたらす、
まさに新時代へ向けた「内発的」な代始儀礼とすることが、
本来の日本の「文明のあり方」であり、
それは「歴史的な契約」であるといえるのではないでしょうか。