doi_iku’s blog

LINEブログから引っ越しました。

保守主義者レヴィ=ストロース☝📘

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近年、現代フランスの構造主義レヴィ=ストロースが再評価され、

中沢新一が盛んに発言していたようですが、

著名な保守主義者であり、

それもE.バークに通じる、正統的な保守論者であることは、

よく知られているところです。

たとえば、

J・G・メルキオール『現代フランス思想とは何か』によれば、

レヴィ=ストロースは、70年代後半に、自分は、ルソーよりも、シャトーブリアンの方に近いと告白さえした。シャトーブリアンとは、(トクヴィルやテーヌと響きあう典型的な保守的批評精神である)〈体系の精神(エスプリ・ド・システム)〉」の色彩がたいへん強い政治学を抱いていた人物である。」

「かれは市民的自由についてかなり保守的な見解を示している。」

「かれは、モンテスキューやルナンの側に立って、自由とはコンテクストに拘束される概念である、すなわち自由とは、長期間に及ぶきわめて特殊な歴史的経験の成果であるところの、アングローサクソン的な意味での近代的自由である、と強調する。…歴史主義、つまり保守思想の伝統的な武器を還元しているのだ。」

全体主義イデオロギーの信奉者は自分の国の苛烈な法律に従うときに自由を十分に感じることができる、とまで言っている。かれは、とりわけ、〔本当は歴史の所産である〕自由を誤って絶対的なものと考えないように警告する。

かれは、『法律家の迷信』として人権フェティシズムに対するヘンリー・メイン卿(※有名な『古代法』の著者)の批判を引用して、合理主義的、普遍主義的な自由の定義は社会的多元主義と衝突する、と主張する。

真の普遍性を要求できるものがあるとすれば、それは〔具体的な〕ひとつの権利だけである。

それは、『精神的存在としての』人間の自由ではなく、『生きている存在としての』人間の自由である。

レヴィ=ストロースをめぐって、わたしたちは、ルソーと無政府主義アナーキズム)から始めた。そしてわたしたちは、エドマンド・バークの精神をもって終わる。

保護論者(conservationist)レヴィ=ストロースの熱烈な申し立ての下で、保守主義者(conservative)レヴィ=ストロースの声が語っている。」


このメルキオールのいう、

レヴィ=ストロースはバークと同じ保守主義者だという見方は、

きわめて正確な理解と思われます。

例えば、自伝的インタビュー『遠近の回想』によれば、

「(フランス革命は)人々の頭の中に、社会というのは習慣や習俗でできているのではなくて、抽象的な概念に基づいているのだという考え、または理性の血で慣習や習俗を挽き潰してしまえば、長い生活形態を雲散霧消させ、個人を交換可能な無名な原子に変えることができるのだという考えをたたきこんだからです。

真実の自由は、具体的な内容しか持つことはできません。」

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また、『はるかなる視線 2』には、次のようにある。

「…しかし、迷信という概念が現代人にとってうさんくさいものになっているいま、迷信はどのような意味で専制主義に対抗できるのだろうか。…より一般的には、個人が総合的な社会に抹殺されることを防ぐ、多数の小規模な帰属集団や零細な連帯組織などであり、また総合的な社会自体が没個性的な部分品的な原子に分解して雲散霧消するのを防ぐ組織でもある。

このような組織は、一つの地方、伝統、信仰あるいは無信仰の形を、特定の生活習慣に統合しているが、それらの要素は、モンテスキューの言う分権方式で均衡を保っているのではなく、それぞれが、公権の権力乱用に抵抗して立ち上がれる対抗勢力としてである。

自由に合理的とされる基本的原理を与えることは、自由の豊かな内容を排除し、自由の基盤そのものを打ち崩すことになる。

守るべき権利に非合理な部分があればこそ、よりいっそう自由に執着するからだ。

非合理な部分があることで、個人は普遍的な自由に抵触することなく、ごくわずかな特権やとくに問題にならない不平等などのような手近な拠りどころをみつけられる。

現実の自由とは長いあいだの慣習、好みなど、つまりはしきたりの自由である。…

〈信条〉(ここでは宗教的な信条・信仰の意味ではない。ただし、そのような信条を排除するものではないが)のみが、自由を擁護するものとなり得る。

自由は内側から維持されるものであって、外側から構築しているつもりでいると実は内側で崩壊が進んでいるものなのだ。」

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ちなみに、バークは、啓蒙主義フランス革命を攻撃したからといって、
自然法や社会契約までを全面的に否定したわけではないようです。

バークによれば、
人間本来の権利とは、
歴史上のある時点で起きた契約とか、単なる理論的な契約や法律的な概念ではない。
他者を信頼する者すべてによって再確認されていく契約、
祖先の過去から現在の我々そして子孫へとつづく契約にもとづくものである(R・カーク『保守主義の精神』上)。

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これらにより、
バーク、トクヴィルから、レヴィ=ストロースへといった、
保守主義の思想の系譜が明らかに見てとれると思うのですが、
しかし、彼らのうち、
自然法や社会契約について、
単にその弱点や欠点を指摘するだけではなく、
それを歴史的な理解、あるいは歴史的な概念へと昇華させ、理念化させていった点では、
バークが最もそうした思考法が顕著であり、意識的であったように見えます。

それは、バークがフランス革命の危機に直面し、
深い理解というか危機感を抱いていたからと考えられますが、
これを日本に当てはめれば、あの敗戦の危機に際して、
八月革命説の宮沢俊義と論争した、法哲学者・尾高朝雄が、
自然法もまた歴史上の産物であるとして「ノモス主権論」を提唱し、
帝国憲法から日本国憲法へ、あるいは
戦前から戦後への橋渡し、
その連続性を見いだす思考の試みを展開したことと
おおいに共通する面があると思います。

しかしながら、
その話は、たいへん長くなるので、
この辺で。
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ちなみに、当方の眼には、
あるいは現代フランス思想は、きわめて複雑であり、
チンプンカンプンなのですが、
しかし、
保守主義思想や歴史的な自由の考え方からすれば、
彼の思想は非常に明快であり、
また一貫性のある解釈や理解が可能である、
さらにいえば、
戦前から戦後にいたる日本の思想情況を探るにしても、
そもそも保守主義フランス革命をめぐる言説から生まれ、
戦前戦後の社会主義全体主義の風潮に抵抗することで自由の価値を再発見したように、
われわれもまた
先の大戦や敗戦危機に際しての
社会主義や「八月革命説」をめぐる言説を読み解くことによって、
最も明快でありながら、
最も深い理解を引き出すことができるのではないか、
つまり、最も危機的な状況においてこそ
思想はその本質を最もあらわにするのであり、
保守主義もまた
その思想的な本領を最も存分に発揮し、真価をあらわにするのではないか
とも思うのです。
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