doi_iku’s blog

LINEブログから引っ越しました。

高度成長は「自然発生的な協力」の成果

歴史のことば劇場66

 

報道によれば、ウクライナの復興へ向けた議論が早くも始まり、日本にも期待が寄せられているそうです。

先の大戦の敗戦により、日本経済の受けた損害は甚大でしたが、しかし残存する資本ストックは意外にも大きく、特に重化学工業設備は、開戦前を上回る水準で維持されました(香西泰)。

このため、戦後の復興は「戦時遺産の活用」との面があり、じっさい昭和20年代は、年率10%近い高度成長の時代でした。

また、朝鮮戦争の勃発から中国大陸と絶縁したため、日本は太平洋に向って開かれた「海洋国家」としての本来の姿を取り戻します。

さらに石炭から石油への世界的なエネルギー転換から、資源不足、化石エネルギー不足という“弱み”を“強み”へと変える臨海工業地域が伸展し、いわゆる太平洋ベルト地帯が出現します。

かつて日本の高度成長は「ワンセット主義」とよばれる大資本による系列化や独占化が特徴といわれました。

けれども、トヨタ、日立、松下、本田らは、財閥や大銀行とは縁遠い外様や新参者で、八幡製鉄、富士製鉄、川崎製鉄なども銀行系列とはいえず、また戦後の日本では、企業成長率が高いほど銀行依存度が低い傾向があります(同)。

このため、国家権力や大資本、旧財閥系などを背景とする国家独占資本主義や「日本株式会社」説、大蔵省・日銀王朝説、日本異質論など、いわゆるエリート史観や支配層中心の経済史観では、日本の高度成長は、説明がつきません。

池田内閣の“所得倍増”論も「民間の経済主体の自由な活動」を基本に求めており、マクロ経済的にみても高度成長は「小さな政府」、財政均衡、インフレ回避、低金利、貯蓄増などのいわゆる古典的経済への回帰(『昭和財政史1』)を特徴とし、「市場条件に対して草の根のもとのレベルで企業や家計が敏活に反応し、集積されたことが決定的に重要」(香西)とされます。

市場と知識に関するハイエクの有名な理論に従えば、

社会の発展や成長に向けた知識や情報、技術とは、特定の人間だけが有するのではなく、「誰にとっても不完全なもの」として存在している。

そのため、社会の発展は、必ずしも明文化されず、数値化も定型化もされない「暗黙知」の技術や情報の集積の結果である。

真に有用な知識や情報は、無数の個々人の間で広く拡散して存在し、その全体を中央当局や特定の機関が把握できるとか統括できるとみなすのは、市場本来の知識や情報の伝達のあり方からも誤った考え方である。

どうやら、復興や経済発展とは、特定の経済計画というより、無数の人々、名もなき人々による「自然発生的な協力の成果」でした。

じっさい日本の高度成長も、国家政策や大資本、大企業を中心に実現したとはいえず、むしろ「草の根」レベルでの貢献が決定的に重要でした。

これら高度成長の歴史の記録には、日本社会の本来あるべき姿が映しだされており、それは今後の日本人に勇気や希望を与えてくれるというばかりでなく、

近年の経済的な停滞や生産性の低迷が一体なぜ起きたのか、その「長期的な要因」を暗に指し示しているのではないでしょうか。

自由世界の「精神に明記された」相互主義

歴史のことば劇場65

自由世界の「精神に明記された」相互主義

G7広島サミットやグローバルサウスとの会合は成功裡に終ったようですが、中国は日本を「西側の少数国と結託して内政干渉を行う」などと批判しました。

いぜん自由世界の国際秩序を受け入れず、軍拡に執着する国もあるようですが、この対立のメカニズムは「国家強度のジレンマ」という概念(中西寛)で説明される場合があります。

一般的に、国家は租税などの間接的な手法によって社会から資源を獲得し、一定のサービスを行うことで統治の正当性を得ます。

しかし新興国では、しばしば支配の正統性が確立されず、国家は直接的な収奪や統制により資源や秩序を獲得せざるを得ない。

それが国民のさらなる抵抗を生み、一層の抑圧ばかりでなく社会の活力を奪い、資源を先細りさせる。

このジレンマに陥った結果、軍事力の強化や国内抑制から現状を打開する他なくなり、

近代化や発展を遂げても、いぜん非民主的で、全体主義的な政治機構を継続していく。

また、西欧で国家主権の独立が強調されたのは、中世キリスト教や皇帝の持つ普遍的権威を否定する意味がありましたが、

実際は、近代西欧でも様々な歴史的つながりをもつ複数の主権国家が存在し、その間で調整を図る力学が働いていた。

国家主権にもとづきながらも、国際共同体としての要素が暗黙の前提にありました。

ところが、非西欧的な社会では、植民地や人種差別、共産主義体制の経験からも、西欧の実際的連帯と異なり、国家の独立や主権の絶対性を主張し、軍備強化をつづけた。

近隣諸国の間でも相互的に国際秩序を強化する傾向が弱く、

反対に、国家を超える相互主義的な紐帯はその歴史を持つ西側世界に偏在しました。

昭和26年9月7日、吉田茂は全権としての講和条約の受諾演説の冒頭、次のように述べた。

「こゝに提示された平和条約は懲罰的な条項や報復的な条項を含まず、恒久的な制限を課することもなく、日本に完全な主権と平和と自由とを回復し、自由かつ平等の一員として国際社会へ迎えるもの……

復讐の条約ではなく“和解と信頼”の文書であります」

E・バークによれば、

諸国家は「互いに文書や印章で結びついているわけではない。相似し、符合していること、同感できることによって結びつくように導かれる…。それらは自分たちが結んだ条約以上に力を持つ、精神に明記された義務である」(J・Ⅿ・ウェルシュ)。

また吉田によれば、

戦後の日米協調とは「自然且つ必然に…巧まずして発展生成した事実関係」によるもので、

日米ほど戦争の前後で両国の関係や感情が変化した事例はなかった。

要するに「懲罰や復讐」ではなく、世界大戦の「反省」(プレトンウッズ会議など)の上に戦後の自由経済体制が築かれ、

冷戦の開始により、日米の「巧まざる真実」、

期せずして符合し、相似し、同感できる「精神に明記された義務」がよみがえった。

そして日本は「自由かつ平等の一員」として迎えられ、全体主義勢力に対抗する集団的な安全保障体制に向けて「国家を超える相互主義的な紐帯」を結んだというのが、

日本の主権回復、国際社会への復帰の本来の姿であったと考えられるようです。

「懲罰や復讐」の歴史観から自由世界の「国家を超える相互主義」の国際秩序が生まれたのではない。

むしろ「懲罰や復讐」からは、国家主権を絶対視する全体主義の「ジレンマ」の罠に陥ると考えるべきではないでしょうか。

 

民主主義は偉人を創り出す

先日、在外中国人の言動を取り締まる「中国秘密警察」の拠点が日本にも二か所あり、彼らを抑圧していると報じられました。中国政府は当事国の主権を無視して言論を封殺し、共産党批判など存在しないかのように装っているようです。

かつてケインズは、株式投資美人投票(コンテスト)に似ていると述べました。自分が誰を美人と思うかではない、他の多くが好んでいる候補を選ばなければ価値を失うというわけです。

派手な惹句やニヒリズムの漂う一節ですが、現代社会には確かにこの暗い一面があるようです。すなわち物事の本質や真価ではない、他の多くがどう見るか、どう評するかが決め手であり、それゆえインサイダー情報どころか、デマの流布、情報統制、言論封殺などの手法が絶えることはない…。

GケナンはI・バーリンの《二〇世紀の政治思想》(1950)という著名な論文について「我々の時代に関する重要な意見表明の一つ…」と彼宛の書簡で評しました。これに対してバーリンは、自らがファシズム共産主義を嫌悪する理由として、両者に共通する道徳的冷笑、普通の人間に対する軽蔑をあげた(Ⅿ・イグナティエフ)。また、自分の道徳観の核心には、人間の道徳的独立性の権利を拒もうとする試みへの嫌悪があるが、両者はその信奉者を教化し、敵を抹殺しようとする罪を等しく犯している…。

さらに、バーリンによれば、

人は、他の人々が自分についてどう考えているか、他の人々にどう見られているか、自分たちの行動は好意的でないように見られていないか、あまり目立ちすぎていないか、自分たちは受け入れられているのか…等々について、不断に不安でいなくても済むような国でしか、自由は発展できない…。

どうやら自由を否定し、批判を封殺し、言論を抑圧する考えの底には「道徳的独立性への冷笑」「普通の人間に対する軽蔑」があるようですが、G・K・チェスタトンは、小説家ディケンズを論じて次のように述べました(1906)。

この世には、他人に、自分は何と卑小なのかと思わせるような偉人がいる。しかし真に偉大な人物とは、他人に、自分は偉大なんだと感じさせる人のことである。

19世紀前半の精神は偉人を生み出したが、それはこの時代が人間とは偉大であることを強く信じたからだ。この時代の教育、慣習、修辞法のすべてが、万人の中にある偉大さを奨励した。あらゆる偉大な人物がこの平等という雰囲気から現れた。「偉人は専制政治を創り出すかもしれない。しかし民主主義は偉人を創り出すのだ」

ほんの一瞬で構わない、かの時代の希望や、社会の混沌とした活気ある変動に共感を覚えてみよう。昔、ダンテは地獄の門の上にこう書いた、「ここに入る者みな、その希望を捨てよ」と。

けれども、現代では、ほんの一時間でも、この黙示録的な銘文を消さなければならない。父祖に関する信仰心を再生しなければならない。

自分は明晰な思考の持ち主などという不吉な考えは忘れよう。知っているつもりで実は命取りになるような歪んだ知識は否定しよう。

「ここに入る者みな、その絶望を捨てよ」

ケナン、バーリン、そしてチェスタトンの論理に従えば、父祖の時代からつづく自由と民主主義の信条、すなわち弱い人々を励ますことで真に強い人々を創り出すこと、さらに他の評価が全てなどという「道徳的冷笑」「道徳的独立性の否定」から脱却することが、かの権威主義全体主義を否定し、訣別し、やがては崩壊させる、思想的な根拠となるのではないでしょうか。

歴史と自由の命運

歴史のことば劇場63

インドが中国を抜いて人口世界一となり、さらなる経済成長が予想されますが、

かつて経済学者フリードマン夫妻は、19世紀の明治日本と20世紀のインドでは「自由市場」の思想を選ぶのか「計画経済」の思想を選ぶかで、明暗が分かれたとの見解を述べました。

曰く、明治の指導者は、個人的自由や政治的自由を特段重視しなかったが「自由な経済政策を採用」し、大衆参加の道を拓いて「より大きな個人的自由を実現」した。

一方、インドの指導者は「自由や民主主義を熱望」し、大衆の経済状況の改善を目指しながら「集団主義の経済政策」という制限により「人々を骨抜きにし…かつてはイギリス人によって促進されていた、インドにおける個人的自由や政治的自由を切り崩していった」

両国の相違は「異なった時代における異なった知的風潮」を忠実に反映している。

「日本人はアダム・スミスの政策を採用した…インド人はハロルド・ラスキの政策を採用したのだ」

 けれども、実際は、維新政府は、西欧流の自由思想は「神ながらの道」や「国体」に通じるとし、外国からの外発性よりも、むしろ自国の歴史的な内発性を重視しました。

 王政復古の後、商業などの利益追求への国家統制を求める民間からの建白書に対し、太政官左院(立法諮詢機関)は、自由経済が古来の「随神(カンナガラ)」の道であり、西欧の「自由(フライ)」に通じると回答した(牧原憲夫)。

松方正義は、日田県知事だった明治二年、天皇への奉呈書で「富国の根本は民心を得て物産を殖やすにあり」、外国の長所を採用し、日本の短所を補い、「国体」を明瞭にして本末を誤らず「実利をとり浮華を棄てる」ことが肝要と述べた(坂本多加雄)。

井上毅は、憲法上の所有権に関して、枢密院に「所有ノ権ハ不可侵ノ権タリ、而シテ無限ノ権ニ非サルナリ…各個人ノ所有ハ各個人ノ身体ト同シク王土王民トシテ一国ノ主権ニ対シ服従ノ義務ヲ負フ」などと説明した(石井紫郎)。

 レヴィ=ストロースによれば、自由とは長期にわたる歴史的経験の成果であり、抽象的な人権ではなく、文化遺産や慣習、信仰などからなる多元的自由が、真の普遍性を持つ。

「自由に合理的とされる基本原理を与えることは、自由の豊かな内容を排除し、自由の基盤そのものを打ち崩す。守るべき権利に非合理な部分があればこそ、より一層自由に執着するからだ…

現実の自由とは長い間の慣習、好みなど、つまりはしきたりの自由である…〈信条〉(ここでは宗教的な信条・信仰…を排除するものではない)のみが、自由を擁護する…。

自由は内側から維持されるものであり、外側から構築するつもりでいると実は内側で崩壊が進んでいる」

 たとえ憲法に規定されても社会主義全体主義の社会では自由や人権は守られないように、

自由は本来歴史的な所産であり、それが「普遍性」の基礎となる。

つまり抽象的原理ではなく「歴史的な信条」が自由の命運を決するのであり、

現在もそれこそが全体主義に対抗する西側自由世界の「普遍的で、多元的」な結束をもたらしているのではないでしょうか。

武士道より愛された『武士の娘』

歴史のことば劇場62

武士道を世界に紹介した著作は、新渡戸稲造の本が有名ですが、

より幅広い層に愛されたと思われる本に、杉本鉞子『武士の娘』があります。米国で1925年に刊行されて評判となり、ルース・ベネディクト菊と刀』(1946)にも何度も引用され、「杉本夫人」とあるように種の敬意が表されています。

というのも、杉本は1920年からコロンビア大学で日本語と日本文化史の講師を勤め(多田建次)、ベネディクトは同大の出身でした(後に教授)。当時何の学歴も無い、それも有色人種の未亡人が、白人相手に名門大で教えたのは、空前絶後の出来事だったと思われます。

杉本は明治6年、長岡藩の元家老の娘に生まれ、14歳で渡米中のある士族との縁談がまとまり、東京のミッションスクール(青山学院の前身)に入り、24歳で単身渡米します。しかし、夫が早逝し、一時帰国しますが、すでに米国に馴染んだ二人の娘の将来を思って再渡米する。

米国でも、和服に丸髷、足袋に草履、風呂敷とのスタイルをつらぬいた彼女の「教養と節度のうつくしさは…ただごとでなく映ったのだろう」(司馬遼太郎)、周囲の勧めで日本文化や武家生活を紹介する文筆活動に入ります。家族三人の家計を支えた英文は著名な編集者の目にとまり、雑誌や単行本として出版されるとアインシュタインタゴールから手紙が来るほどの反響をよびます(多田)。

杉本の回想によれば、武家の教育とは、漢文の素読が「稽古」と呼ばれたように躾や訓練が中心にありました。わずか6歳の銊子にも漢籍が教えられたが、彼女に漢文は分からない。しかしそこには「音楽」のようなしらべがあり、大事な章句を暗誦できた。

「…言語の中に、音楽にみるような韻律があり、易々と頁を進め…ついには四書ししょの大切な句をあれこれと暗誦した…。この年になるまでに…偉大な哲学者の思想は、あけぼのの空が白むにも似て、次第にその意味がのみこめるようになり…よく憶えている句がふと心に浮び雲間をもれた日光の閃きにも似て…意味がうなずけることもありました」

また稽古は二時間のあいだ、少し身体を動かしただけで「お嬢さま、そんな気持ちでは勉強はできません。お部屋にひきとって、お考えになられた方がよい…」と師匠からきつく叱られるほどだった。

勉強は神聖なものであり、「居心地よくしては天来の力を心に受けることができない」。このため、真冬でも火の気のない部屋で行われ、後ろに控えた乳母が「紫色になった私(鉞子)の手を見つめ、すすり泣き」した。しかし稽古が終れば「温めた綿入れの着物にくるまれ」、祖母の部屋では「美味しい甘酒」が用意され、こおった手は乳母がさすってくれた。

こうした峻厳さと高貴さ、あふれる愛情につつまれた教育が、日常的に行われることで、武家の子供たちは育ちました。

それを鮮やかに描き出した杉本の英文は、当代最高の知性たちの心の琴線にも触れ、「武士道」という以上に「武家の娘」の凛々しい生き方や考え方として、静かな感動や感銘を与えたと考えられるようです。

 

現代の「戦争と平和」

歴史のことば劇場61


 昨年9月、ショルツ独首相は国連総会で、ロシアのウクライナ侵攻について

帝国主義以外の言葉は見つからない。帝国主義植民地主義とは対極にある世界平和への災いだ」

と批判したと報じられました。

マルクス主義の影響がいぜん残る歴史学では、

帝国主義と資本主義をつねに結びつけますが、実際レーニン帝国主義を資本主義の「最高の段階」と規定しました。

ロシアが資本主義の最高段階のはずはないから、ショルツは彼らとはまったく異なる論理に立って国連で演説したようですが、

かつて経済学者のJ・シュンペーターも、マルクス主義による帝国主義論を否定しました。

曰く、帝国主義の「階級利益や階級の状況」から侵略戦争が構造的に生じるとする彼らの主張は説得力がない。資本主義制度では帝国主義的衝動は育ちにくい。

競争制度の下では「いつも何か仕事をし、注意を怠らず、精力を集中しなければ生きながらえない」

戦争や対外冒険主義は「厄介な妨げ」でしかなく「生活の意味をこわし『正しい』仕事からの逸脱」となる。

18世紀のA・スミスも、英・仏の七年戦争を「重商主義の思想と政策」の産物と批判しましたが、

シュンペーターの矛先も保護関税に向かいます。関税は「時代遅れの事業経営を維持」する。保護主義は一部の利益でしかなく全体の利益にならない。

反対に、自由貿易が支配すれば「どの階級も武力的領土拡張に関心をもたない」し、「どの国の人も商品も、あたかも外国が自国領かのように自由に出入りでき…どの国も外国の原料や食糧を…自国の領土内のように容易に入手できる」

実際、資本主義の下で帝国主義が栄えたように見えるのは「隔世遺伝」の結果である。近代ドイツの帝国主義も「資本主義以前」の制度や心理的慣習の産物であり、国家による重商主義的・軍事的産業化が主な原因である。

そしてシュンペーターは次の一句で自説を結びます1919

「私はただ“死せるもの、常に生けるものを動かす”という千古の真理を、一つの重要な事例について証明しようとしただけである」

帝国主義の戦争とは、シュンペーターからすれば(おそらくはショルツも)、

資本主義自体ではなく、「資本主義以前」からの制度や心理慣行、さらにはマルクス主義による誤謬の結果である。それらが「隔世遺伝」としての帝国主義の“死せる亡霊”を蘇らせた。

思えば、現代中国が唱える、日本は侵略国家という歴史認識も、起源的には1939年に毛沢東らが作成したパンフレット『中国革命と中国共産党』に始まります。アヘン戦争清仏戦争と並べて日清戦争も「侵略戦争」とし、今も台湾や尖閣列島は奪われたとの侵略史観に立っている。

まさに「死せるもの、生けるものを動かす」であり、中国やロシアに「帝国主義植民地主義」という亡霊がよみがえる隔世遺伝を惹き起こした。

それゆえ、現今でも「戦争」か「平和」か、全体主義自由主義かを分けるのは、いぜん過去からの歴史認識であり、それが「資本主義文明」による自由と繁栄、そのための支援の輪を広げるのか、それとも「資本主義以前」の帝国主義による侵略行動にいたるのかの分岐点ではないのか。

また、帝国主義との「資本主義以前」の歴史認識からすれば、

本来の資本主義にもとづく「自由と繁栄」は、それ自体が「隔世遺伝」から来る体制の根幹を揺さぶっています。

それは「死せる亡霊」に取り憑かれた権威主義には、常に脅威であり、危険である。対外冒険主義や侵略行動を止めることはできない、いや軍事行動を止めるのは、それこそ自滅であり、自殺行為でしかないと考えるだろう。 

なぜなら「死せる亡霊」は、資本主義の合理性の光によって、雲散霧消され、消し去られてしまう、それゆえ、彼らは非合理の戦争や侵略を決して諦めないし、そもそも止めることができないのではないでしょうか。














「魂なき機械」の言葉を排す

歴史のことば劇場60

 

 
  岸田首相の防衛費への増税方針に対して「あまりに唐突」「拙劣」等々の批判が各界から噴出し、

 

なかには「景気回復に水を差す」「日本の財政規模を超える」「米国が喜ぶだけ」とか、

中・露・朝の露骨な軍事的脅威に対峙する自由世界の国際的な結束や決意に向けて

あたかも「水を差す」ような話も出ました。

国防は富裕よりも重要とは考えない人がまだいるようですが、

人は、財政赤字が拡大する時、公共心や将来への不安もあって増税や削減に一応は賛成します。

しかし何を具体的に増税するのか、どの支出を削減するかとなると意見はまとまらず、利害が対立してたちまち公共心が失せ、決局、先送りされる。

けれども「国家の財政能力には限界がある……もし、人々の意思が公共支出をさらに多く要求し続けたらどうなるか。個人の生産性を超えてしまうような目標のために、より多様な政策が要求されたら、どうだろう。

最終的に、国民の大部分が私的所有について新たな概念を持つようになったら、一体何が起こるのか。

このとき租税国家(※資本主義国家)は、進むべき道を歩みきってしまったことになろう」(J.シュンペーター

西ドイツの経済学者w・レプケは、70年代の福祉国家論のような過重負担を進める動きは、「国家そのものが権力闘争によって蝕まれ、一般公共性のために役立つ機関として権威を失う」

「統治されるものが、心から自分たちの国家だと感じ得るような存在でなくなる」と述べて

「魂なき機械化された社会」(エアハルト)の到来を警告しました。

過剰債務は、現世代の有権者が、投票権のない若者やまだ生まれない子の金を使って生きる「新たな収奪制度」といえる。

また、経済成長がGDP90%を超えるような債務から深刻な影響を受けないはずはない。

むしろ過剰債務は長期に成長率を押し下げ、生産水準が25%近くも低下することを、先進諸国の26の事例により検証した研究もありますNファーガソン

E・バークの主張に従えば、

短期的な政治的・道徳的な圧力が、長期的な国の経済的利益を脅している場合、つねにそれに耐えるように立法者や有権者に向けて助言しなければならない。

「この世に生を借りた存在でしかない者が、祖先から受けとったものや子孫に支払うべきものに気をとめず、全てを所有するかのようにふるまってはならない……

自分たちが祖先の諸制度をほとんど尊重しなかったように、後継者に自ら生み出した機構を尊重する必要がないと教えることになる……

(国家とは)生者たちの協働事業(パートナーシップ)であるだけでなく、生者たちと死者たち、これから生まれ来る者たちの間の協働事業でもあるのだ」

「反撃能力」との文言が明記された安全保障政策の変革期に際して、

はたして誰が「生者と死者、生まれ来る者たちの協働事業」を推進しているのか、

その反対に「魂なき機械化された」論議を繰り返すのは誰なのかを明確に見分けなければ、

「国家そのものが権力闘争により蝕まれ…権威を失い」「心から自分の国と感じられない」将来がいつか来てしまうのではないでしょうか。