歴史のことば劇場60
なかには「景気回復に水を差す」「日本の財政規模を超える」「米国が喜ぶだけ」とか、
中・露・朝の露骨な軍事的脅威に対峙する自由世界の国際的な結束や決意に向けて
あたかも「水を差す」ような話も出ました。
国防は富裕よりも重要とは考えない人がまだいるようですが、
しかし何を具体的に増税するのか、どの支出を削減するかとなると意見はまとまらず、利害が対立してたちまち公共心が失せ、決局、先送りされる。
けれども「国家の財政能力には限界がある……もし、人々の意思が公共支出をさらに多く要求し続けたらどうなるか。個人の生産性を超えてしまうような目標のために、より多様な政策が要求されたら、どうだろう。
最終的に、国民の大部分が私的所有について新たな概念を持つようになったら、一体何が起こるのか。
このとき租税国家(※資本主義国家)は、進むべき道を歩みきってしまったことになろう」(J.シュンペーター)
西ドイツの経済学者w・レプケは、70年代の福祉国家論のような過重負担を進める動きは、「国家そのものが権力闘争によって蝕まれ、一般公共性のために役立つ機関として権威を失う」
「統治されるものが、心から自分たちの国家だと感じ得るような存在でなくなる」と述べて
「魂なき機械化された社会」(エアハルト)の到来を警告しました。
また、経済成長がGDPの90%を超えるような債務から深刻な影響を受けないはずはない。
むしろ過剰債務は長期に成長率を押し下げ、生産水準が25%近くも低下することを、先進諸国の26の事例により検証した研究もあります(N・ファーガソン)。
「この世に生を借りた存在でしかない者が、祖先から受けとったものや子孫に支払うべきものに気をとめず、全てを所有するかのようにふるまってはならない……
自分たちが祖先の諸制度をほとんど尊重しなかったように、後継者に自ら生み出した機構を尊重する必要がないと教えることになる……
(国家とは)生者たちの協働事業(パートナーシップ)であるだけでなく、生者たちと死者たち、これから生まれ来る者たちの間の協働事業でもあるのだ」
「反撃能力」との文言が明記された安全保障政策の変革期に際して、
はたして誰が「生者と死者、生まれ来る者たちの協働事業」を推進しているのか、
その反対に「魂なき機械化された」論議を繰り返すのは誰なのかを明確に見分けなければ、
「国家そのものが権力闘争により蝕まれ…権威を失い」「心から自分の国と感じられない」将来がいつか来てしまうのではないでしょうか。