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日本的な「自由」の歴史的な由来

歴史のことば劇場70

“日本人は水と安全はタダだと思っている”

とは、イザヤ・ベンダサン(山本七平)『日本人とユダヤ人』(1970)の有名な文句ですが、

同書は「日本人は常に自由であった」から「水と安全は無料と思っている」と述べています。

いわく、ユダヤ人が安全に高いコストをかけるのは、宗教的迫害を長く受けてきたからである。

彼らは江戸期の隠れ切支丹みたいなもので、常に迫害される危険があったが、

切支丹以外の日本人にそんな経験はない。

ユダヤ人にとって「城壁のない都市は、殻のないカキのようなもの」だが、

「個人の安全も一国一民族の安全保障も、原則は同じであろう。

しかし日本では、カキに果たして殻が必要なりや否やで始まり…

防衛費などは一種の損害保険で『掛け捨て』になったときが一番ありがたいのだ、ということも…日本では通用しない」

「ああ、日本人は何と幸福な民族であったことだろう」

現今の日本人がこれほど「幸福」で平和ボケかどうかはともかく、

かの”水と安全はタダ”とのフレーズは「日本人の自由」それも「宗教的な自由」から考え出されたものでした。

そういえば、ザビエルは、

日本では「各人が自分の意思に従って望むところの教義」を選んでおり「誰に対しても…改宗させることはしない」と述べたし、

元禄期に来日したケンペルは、

日本では「各人の思いのままに信仰する神を崇める自由が与えられている」と論じた。

秀吉による伴天連(ばてれん)追放令(1587)も、近年では、宣教師やキリシタン大名による度重なる社寺への破壊行為や冒涜が発令の主な原因の一つとされ、

大友宗麟重臣立花道雪は、主君宗麟のキリスト教信仰による神仏排撃を諌め、

「日本は神国と申し候間、是非、公私、御信心、専ら順儀・天道に背かれざるの様、御覚悟あるべき」と諭した(神田千里)。

これ以前にも、他宗派への弾圧を禁ずる分国法があり(今川仮名目録など)、

南北朝期の『神皇正統記』は、人の信心の動機は「品々」で「教法も無尽」、「諸教を捨てず、機を漏さず得益」を弘めるべしと、

「神国」における諸宗共存の多様性が国家利益になると論じました。

ヘーゲルによれば、

国家は、宗教から離れることで「本質的な、自己意識的で理性的性格と人倫性」を発揮する。

いわゆる政教分離、近代国家へと向かう潮流は、西欧ではウェストファリア条約(1648)に始まり、

ルソーは「ウェストファリア条約が…我々の永久に政治制度の基礎となることは確実」と断じました。

彼らの論理に従えば、

古来日本は「神国」の下における宗教的な寛容や信教の自由に似た思想があり、その下で社会全体が理性的・人倫的に運営される「政治制度の基礎」が築かれた。

I・バーリンは「人間がその内部を決して侵されてはならない境界線は、なんら人為的に引かれたものでなく、歴史上長く受け入れられた規則によって定められた」と述べたが、

日本人の「自由」の境界線も「神国」の道徳秩序という「人為的でない、歴史上長く受け入れられた規則」の産物であり、

戦後の「平和ボケの信仰」であっても、この日本人の「歴史的な自由」の生み落とした副産物の一つ、と考えられるのではないでしょうか。