doi_iku’s blog

LINEブログから引っ越しました。

国土・国境の尊厳

歴史のことば劇場48


古来、日本の国境は必ずしも明確でないとされ、
平安時代追儺(ついな)(※疫鬼を域外へ払う儀礼祭文には
東方陸奥、西方遠値嘉五島列島、南方土佐、北方佐渡」を「四方之(ほとり)」とあります。中世では、
東は外ヶ浜青森県海岸部)、西は鬼界ケ島(鹿児島県三島村・十島村の諸島)が「境」と意識されました(新田一郎)。

けれども、国境の不明は、必ずしも境界意識の希薄を意味しません。

鎌倉後期の密教の書『拾葉集』によれば行基は日本地図を独鈷(とっこ)(※密教法具)の形で描いたとし、

国生み神話の天瓊(あまのぬほこ)伊勢神宮(しん)御柱天皇の神璽、国土を海底で支えている大日如来の印文梵字

いずれも神聖な独鈷の形であり、日本は異国の侵略を受けないとします。

金沢文庫日本図」は、龍が列島を取り囲む図で描かれ、

諏訪大明神絵詞』は、同神が大龍となって暴風を吹かせ、蒙古の大軍を全滅させたと述べます(黒田日出男)

龍神が外敵から国土を守り、独鈷の形によって日本の内外を分かつ。

この宗教的イメージこそが、国境以前の〈バウンダリー(boundary)〉の萌芽であり(新田)、

秀吉や家康の発したキリスト教禁令には「神国」思想も反映された。

それと同時に、鎖国の海禁から国土領域は自然と定まり、

中世の神国思想が、近世の「早熟な国民国家」形成と共に、国際状況への対応を決定する要因になりました。

沿岸部を詳細に記した伊能忠敬大日本沿海輿地全図1821は、蝦夷を最初の測量地としたように、

ロシア南下の対外不安を作成契機とする地図(R・トビ)でした。

ロシア漂流民によれば、日本人は「インペラトリ(帝国)」との上席の待遇を受け、

徳川斉昭が黒船に関して「開闢以来の国恥」と激怒した理由は、諸国が日本を「帝国とあがめ尊び、恐怖致し」ているのに、

米国が勝手に測量するなど無礼を働いたからで、この行為は当時の国際法に違反していました(平川新)

アヘン戦争直後の箕作省吾『新製輿地全図』『輿図識』18445は、当時の蘭語による最新情報だけを使った驚くべき地誌ですが、

世界の記述を「皇国」から開始したように(三谷博)蘭学者も、国学や水戸学と同じ世界認識を共有しました。

新渡戸稲造『武士道』1900によれば、日清戦争の勝利は、単なる銃砲や技術の勝利ではない、

朝鮮・満州での勝利は「我らの手を導き、我らの心臓に鼓動する父祖の御霊による」ものと述べました。

近年、米国は安保条約第5条(共同対処)尖閣諸島への適用を明言し、

「第三国による一方的な行為(※中国による侵犯などを想定)」は、米国の認識に影響を及ぼさず、

東シナ海はアジアの共有海域の死活的一部」と位置づけました2013年度国防授権法への修正条項。R・エルドリッヂ)

古来の「神国」から近代的な「帝国、皇国」、「父祖の霊地」、そして現代の死活的な「共同対処」へ――

歴史伝統とは「頭脳というより、いわば血の産物」であり、この熟練した事業の系譜(T.S.エリオット)につらなることで、

日本の国土・国境の尊厳は守られてきたのではないでしょうか。