doi_iku’s blog

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武士道より愛された『武士の娘』

歴史のことば劇場62

武士道を世界に紹介した著作は、新渡戸稲造の本が有名ですが、

より幅広い層に愛されたと思われる本に、杉本鉞子『武士の娘』があります。米国で1925年に刊行されて評判となり、ルース・ベネディクト菊と刀』(1946)にも何度も引用され、「杉本夫人」とあるように種の敬意が表されています。

というのも、杉本は1920年からコロンビア大学で日本語と日本文化史の講師を勤め(多田建次)、ベネディクトは同大の出身でした(後に教授)。当時何の学歴も無い、それも有色人種の未亡人が、白人相手に名門大で教えたのは、空前絶後の出来事だったと思われます。

杉本は明治6年、長岡藩の元家老の娘に生まれ、14歳で渡米中のある士族との縁談がまとまり、東京のミッションスクール(青山学院の前身)に入り、24歳で単身渡米します。しかし、夫が早逝し、一時帰国しますが、すでに米国に馴染んだ二人の娘の将来を思って再渡米する。

米国でも、和服に丸髷、足袋に草履、風呂敷とのスタイルをつらぬいた彼女の「教養と節度のうつくしさは…ただごとでなく映ったのだろう」(司馬遼太郎)、周囲の勧めで日本文化や武家生活を紹介する文筆活動に入ります。家族三人の家計を支えた英文は著名な編集者の目にとまり、雑誌や単行本として出版されるとアインシュタインタゴールから手紙が来るほどの反響をよびます(多田)。

杉本の回想によれば、武家の教育とは、漢文の素読が「稽古」と呼ばれたように躾や訓練が中心にありました。わずか6歳の銊子にも漢籍が教えられたが、彼女に漢文は分からない。しかしそこには「音楽」のようなしらべがあり、大事な章句を暗誦できた。

「…言語の中に、音楽にみるような韻律があり、易々と頁を進め…ついには四書ししょの大切な句をあれこれと暗誦した…。この年になるまでに…偉大な哲学者の思想は、あけぼのの空が白むにも似て、次第にその意味がのみこめるようになり…よく憶えている句がふと心に浮び雲間をもれた日光の閃きにも似て…意味がうなずけることもありました」

また稽古は二時間のあいだ、少し身体を動かしただけで「お嬢さま、そんな気持ちでは勉強はできません。お部屋にひきとって、お考えになられた方がよい…」と師匠からきつく叱られるほどだった。

勉強は神聖なものであり、「居心地よくしては天来の力を心に受けることができない」。このため、真冬でも火の気のない部屋で行われ、後ろに控えた乳母が「紫色になった私(鉞子)の手を見つめ、すすり泣き」した。しかし稽古が終れば「温めた綿入れの着物にくるまれ」、祖母の部屋では「美味しい甘酒」が用意され、こおった手は乳母がさすってくれた。

こうした峻厳さと高貴さ、あふれる愛情につつまれた教育が、日常的に行われることで、武家の子供たちは育ちました。

それを鮮やかに描き出した杉本の英文は、当代最高の知性たちの心の琴線にも触れ、「武士道」という以上に「武家の娘」の凛々しい生き方や考え方として、静かな感動や感銘を与えたと考えられるようです。