新聞紙上に歌会始の御製から一般の選歌までが掲載されるのは、明治15年からですが、
新聞にいわゆる選歌欄が設けられるのは、正岡子規が同33年に新聞『日本』で始めてからです。
つまり、国民参加としての歌会始の先進性は際立っており、
選歌や御覧も、古来、万葉集の東歌や勅撰集の「読人しらず」として庶民も選歌される伝統、
あるいは「貴賤と云ひ聖凡と云ひ、和歌を以て情を通ぜざるなし」(前参議教長卿集)との身分階層を問わず、世俗の秩序をも超えた「歌徳」(小川剛生)の伝統を発展的に継承したものと推測されます。
また「仏と云ひ神と云ひ、和歌を以て情を通ぜざるなし」(古今和歌集教長註)との、仏神の境界ばかりか、人智や人力をも超え、あらゆる心情に通じるとする神仏習合的な思想も、古今集からつづく伝統のようです。
歌会始では「としのはじめに―イ」などと、一句ずつを区切り、独特の発声法で詠み上げるように、
和歌とは本来、文字で読むというより声を聴くものであり、宴席などの共同の場で披露され、皆で同じ歌を聴き、全身で感じて唱和する共同体の文学といえます。
それは近代文学のような個人の感情や思想を訴える表現とは異なり、
宮廷を中心とする場の文化であり、他者との交感や共感を、身心に皆で受け入れるものでした。
そうした自分ではない、他者の声を集中して聞くということは、
「自―他、内―外、能動―受動という区別を超えた相互浸透的な場に触れる経験」であり、
介護のケアの現場では、いわゆる「聴き取り」は、相手と呼吸を合わせることから始まるといいます(鷲田清一)。
哲学者ロラン・バルトは
「《私のいうことを聞いてください》というのは、《私に触れてください、私の存在することを知ってください》ということだ」と述べました。
古来、天皇が国家を統治することを「聞し召す」と表現します。それはまさに「聞く」の尊敬語であり、