歴史のことば劇場55
しかし9条は、戦後の絶対平和の思想には由来しません。むしろ1928年の不戦条約にその淵源を持っており、
九条第一項が「国権の発動たる戦争」や「武力」を全て放棄するとせず、
わざわざ「国際紛争を解決する手段としては」との留保を付すのは、
不戦条約第一条に同様の留保があるからです。
このため、9条が自衛活動まで放棄する趣旨でないことは明らかですが、
しかし不戦条約には、上記の「公的」な解釈とは異なる「戦争違法化」という別の潮流がありました。
すなわち、自衛権や不正な戦争としての侵略の定義は不可能であり、
「条約によって…法律的概念を定めようとするのは平和にとって利益にならない」、むしろかえって争いをもたらすとする公定解釈(牧野雅彦)とは、明らかに異質の思考法でした。
対ソ「封じ込め」政策で有名なG・ケナンは、
不戦条約違反として満州事変を弾劾したスティムソン・ドクトリンなどの手法を「法律道徳主義(リーガリスティックアプローチ)」、
すなわち米国外交によくある法律的規制によって諸国の野心を抑制できるとする「信念」と呼んで、きびしく非難しました。
ケナンによれば、彼ら法律道徳主義者の脳裏にある「世界秩序」とは、
「自分たちの法律上の諸概念を国際的事件にあてはめ…他国が服従し…尊重」しさえすれば「世界の安全と平和は保障されると信じ」るような非現実性があり、
また対日戦争とは、ハル国務長官が法律道徳主義に「耽溺した結果」とも述べました。
じっさい、スティムソンやハルは、戦争違法化を求める新・国際法学の「良き理解者」(篠原初枝)であり、
その反対にケナンは、スティムソンが「生みの親」である国際軍事裁判に徹底して批判的でした(日暮吉延)。
「侵略」をめぐる国際法の論議は、戦後になってもソ連の安全保障と明らかに親和性がありました。
さらにケナンの「封じ込め」やマーシャルプランは、彼の法律道徳主義批判との「歴史認識」と直接に関係しており(三谷太一郎)、
要するに、戦後の日米同盟や自由諸国の全体主義に対抗する結束は、
上述の「戦争違法化」運動や法律道徳主義とは明らかに異なる論理から形成されました。それゆえ、九条の改正も、不戦条約当初の思想まで立ち戻り、
結果的に平和よりもむしろ戦争をもたらした同運動や法律道徳主義の「歴史認識」から脱却し、
その本来の目的を達成できると考えられるのではないでしょうか。