近時、ロシアの専横で核軍縮の国際交渉が頓挫したそうですが、
戦後日本の沖縄返還と「核」との間に深い関係があったことは有名です。
密かに核装備と憲法改正の認識を示します。
しかし翌年正月、日米首脳会談でジョンソン大統領は日本の核保有に反対し、核攻撃には米国が防衛する意思を伝えると、
佐藤は「まさに…私が問いたかったこと」と即座に応じました。また共同声明には、沖縄の施政権の「できるだけ早い機会に返還」との日本側の要望が入り、
「大統領は…理解を示し…」との一定の譲歩の表明をも引き出します。
じっさい、42年秋、スナイダー国務省日本課長らは、返還後の基地機能に影響するのは核貯蔵とB52の自由発進の二点にすぎず、
それは日本のアジア防衛への積極姿勢で補えるとする報告書を提出し(細谷千博)、返還は現実化に向かいます。
沖縄返還とはいわゆる「核抜き・本土並み」の返還ではなく「有事核持ち込み・本土の沖縄化」(室山義正)でした。
また佐藤は、自らの政策スタッフに、「この世界で最も貴重なものは自由である。自由の下においてこそ、政治的成功があり、経済的繁栄がある。
我々は一歩も後退してはならないし…政治、経済、軍事のすべての面で、共産主義陣営より少しでも優位に立たなければならない。
バランス・オブ・パワーではなく、我々が少しでも優位に立つことが自由と平和を保つ道である」
とのドゴールの言葉をよく語っていました(千田恒)。
この「自由の優位と平和」に、米国による核持ち込みは不可欠ですが、
しかしながら「非核三原則」とは明らかに矛盾します。
M・バフチンの文学理論に従えば、ドストエフスキーの小説では、相異なる思想同士による《ポリフォニー(多声法)》の対話が表現されており、
一方、それ以前の啓蒙主義や合理主義は、あまりにも単一的、《モノローグ(単声法)》的で、二者択一的な結論ばかりを求め、この世を統一的、画一的に操れると思っていた。
けれども、現代では、いわゆる「核廃絶」と「核抑止」論という明らかに「相反」する思考が
「それぞれ独立し互いに溶け合うことなく…れっきとした価値を持つ声」として響きあう《ポリフォニー》の世界が存在します。
沖縄返還と「核」状況の下、そうした「現代」思想の新しい時代が到来し、
やがてそれは世界的にも「自由社会」の要件の一つとなるのではないでしょうか。