先日、国連総会で岸田首相は安保理改革を訴えましたが、
第二次大戦中、ドイツに敗れ、占領されたフランスは、もしドゴールが亡命先のロンドンから徹底抗戦を叫ばなければ、戦後、戦勝国となれず、常任理事国にも列せられなかったといわれます。
1940年6月17日、仏政府首班ペタン元帥は、ドイツに休戦を求めると表明したが、翌日ドゴールは、BBCラジオ放送で「フランスの抵抗の焔は消えてはならず、消えることもない」と述べました。
「希望は消え去らねばならないのか? 敗北は決定的か? 答えはノンである……私は現状をふまえて話している……
フランスにとって失われたものは何もない。わが軍を打ち負かしたのと同じ手段がいつの日か勝利をもたらすだろう。
なぜならフランスは一人ではないからだ。フランスは一人ではない!……背後に広大な帝国が控え……大英帝国は海洋を掌握し続け、闘争を継続し……フランスは英国と同様に米国の巨大な工業を際限なく使用できる…
この戦争はフランスの戦いによって決まらない。この戦争は世界戦争である。すべての過ち……遅延……苦痛がありはしても、世界には我々の敵を粉砕するために必要な手段のすべてが存在する」
これは小説家モーリヤックも述べたように殆ど狂人の行為に似ていました(村松剛)。
しかし「誰しも断念した恐るべき空虚を前に、私の使命は突如、明瞭になり、事態は凄惨なものに思われてきた……我々の史上最悪の日に、自らフランスを持って任じるのは私の責任だった」(ドゴール大戦回顧録)
ラジオ演説ではフランスは英米と共に世界戦争を戦っているとの構想を示した。
いまだ勝敗は決まらず、自由社会の全ての実力を背景に逆転する―この見通しは、紆余曲折あっても概ね予言通りに進みます。
奇しくもウクライナ大統領ゼレンスキーによるロシアとの戦争の考え方に似ているようですが、
一国が敗北するのは、ドゴールの信念によれば、戦意を失ったときだけ(J・ジャクソン)でした。
ドゴールの「自由フランス」に参じた兵士によれば、
1940年の敗北は、フランス人を結ぶ全ての絆を切断し、過去の全てがとりのぞかれた。
しかし「ドゴールがこの空隙を、フランスへの情熱とフランスに対する強迫の観念とで埋めた」
「全霊を捧げることは自らを隷属におくことを意味しない……無記名の人民投票……ドゴールこそ我々がその中に希望を見出した人である」
傷つけられ、屈辱に苦しんだ人々は「われら最初のひとり」のドゴールの元に結集した。
ドゴールはフランスの制度とは「名誉と祖国」そして「自由・平等・博愛」をすべての発想の源とすると述べました(41年11月)。
それはキリスト教と自由、聖ルイの伝統と人権宣言との和解(J・マリタン)であり、
その歳月の奥底から立ち上る「歴史と自由の地平」の宣明とともに、
彼は「絶望しないフランス、屈服しないフランス」の体現者となり、
あらゆる政争も思想の違いをも超えて「敗れざる国民の指導者」となったと思われます。