doi_iku’s blog

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「自由の勝利」へ向けたcommitment

歴史のことば劇場53


 台湾有事に「関与する」、(それが)アメリカのcommitment〈※公約、責任〉だ」―

先日の日米共同会見におけるバイデン大統領の発言ですが、

ウクライナ危機に米国やNATOは直接に関与できず、ロシアの侵攻を止められなかった。

しかし、台湾有事には「関与」の意思を明示して断固阻止しようとしています。

当然、同盟国・日本も、共同作戦の体制を強化するようですが、思えば、

昭和26年の講和条約や旧安保条約は、あくまで対等を前提とする軍事同盟の観点から見れば

「お世辞にも同盟条約とは呼べない内容」坂元一哉でした

西村熊雄(当時、条約局長)は、後の回想で「日本は施設を提供し、アメリカは軍隊を提供する」、

「物と人との協力だ。相互性は保持された」と巧みに表現しました。

しかし「物(基地)と人(米軍)との協力」という関係には、生命に関する重大な責任の片務性、非対称性があることは明らかで、

この片務性から脱し、

相互性、対等性へと発展させる歴史は、35年の岸内閣による安保改定に始まります。

新安保条約は、旧条約が日本の安全のためとした体裁を、「極東の平和と安全」のためと改めた上で、

米国の日本防衛および日本の基地提供との義務を明示し、

「日本国の施政の下にある領域」での武力攻撃には、日米で共通して対処する(5条)との相互防衛を盛り込んだ。

沖縄返還の前後では、基地問題を超える同盟のあり方自体が課題となり、

佐藤首相はニクソンとの日米共同声明1969で、米軍の即応が不可欠な韓国、台湾の安全は、日本にとって緊要と表現し、

同返還では「核抜き・本土並み」を原則としつつも、秘かに有事の際の核持込み・通過に関する合意を米国側と交わした。

また、ニクソンドクトリンで米国は、同盟・友好国に「第一義的責任」との相互防衛の責任分担を求め、

1978年のガイドライン(日米防衛協力のための指針)では、有事の際の日米防衛協力、共同計画・演習、情報交換などが盛り込まれた。

80年代のシーレーン防衛では、米軍第七艦隊への海上補給に日本は協力し、湾岸戦争北朝鮮危機をへて、

97年の新ガイドラインでは、日本への直接攻撃でなくとも、周辺事態や後方地域支援に対処する枠組みが作られた。

「物(基地)と人(米軍)の協力」を超える「人自衛隊と人(米軍)の協力」は、

こうして日本領域外へと広がり、かつての「片務性、非対称性」から「相互対等性」へ、

将来の集団的自衛権行使の責任分担へと向けた道筋がついた。

かつて吉田茂は、日米の協調について「自然かつ必然…巧まずして発展生成し…」と語り、

講和報告の国会での首相演説(昭和26では、「日本が集団的安全保障とりきめを自発的に結ぶことができるのは明らか」と述べましたが、

台湾・アジア有事へ向けた今日の「共同対処」とは、数十年を超えて「相互対等性」をめざした、日米同盟の「自然かつ必然」の歴史から生まれていた。

つまり、同盟本来の責務を誠実に果たすことで、自由主義陣営の結束を固めたのであり、

またそれは「自由の信条」が最終的に全体主義に勝利するための、

歴史的で、現実的な「commitment〈責任〉」であったと考えられるのではないでしょうか。