doi_iku’s blog

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ビール好きが高じて🍻🍺🍶……


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新しい国史への招待38

ビールと日本人


醸造は日本の長技


ビールは、五千年の歴史を持つといわれますが

日本に入って来た記録は、意外にも遅く、

江戸時代の十七世紀まで時期が下るようです。

初めて日本人が飲んだ記録とされる建部清庵杉田玄白和蘭(オランダ)医事問答』(一七九五)には、

「殊外(ことのほか)悪敷(あしき)物にて何のあじはひも無御座(ござなく)候」とあります。

どうやら、ビールは、

当時の日本人には不評の一面があったようで、

蘭学医の大槻玄沢

「食後に…消化をたすくる」などと、その味わいよりも

健康上の効用をおもに伝えています稲垣眞美『日本のビール』)


万延元年(一八六〇)の最初の遣米使節に加わった仙台藩玉虫左太夫は、

ポーハタン号における西洋式の宴会に出席しますが、

西洋の音楽は「極メテ野鄙(やひ)、聞クニ足ラズ」、

料理は「臭気鼻ヲ突ク…口二合(あわ)ズ」と、

音楽も、料理も、大いに不満であった。

けれども、

「酒一壺アリ、ビールト云フ、一喫ス、苦味ナレドモ口ヲ湿ス二足ル」

と記しています。

音楽や料理と違って、ビールには、いかにも感じ入ったような書きぶりが見られます。


また、この数年後、

福沢諭吉は、

「麦酒…胸膈(きょうかく)ヲ開ク為二妙アリ」などと述べとおり、

人々と陽気に打ち解けることのできる、ビールの交際上の功徳も説いています(キリンビール編『ビールと日本人』)。

明治五年、

岩倉使節団の英国でのビール工場視察において、

久米邦武は、次のように記しています。

そもそも「飲料」は、

社会が豊かになれば

「益々精美ヲ好ム」ものである。

つまり、文明が進めば、

品質の良いものが飲まれるようになる。

「故ニ飲料ノ消費高ニテ、国ノ開化ヲ証スル説モアル」くらいである。

しかし、同じ醸造酒であるという点では、

「日本酒モ亦ビールノ一種」ではないか。

しかも、

「日本ノ酒ハ…醸法頗ル高尚ニ属ス。只(ただ)未タ欧洲人ノ嗜好ニ生セサルノミ」。

西欧人が飲まないのは、

ただ機会がなかったからにすぎず、

文明が進めば、

人間は必ず異なる嗜好を求めるから、日本の酒は

「必ス一箇ノ輸出物」になるに違いない。

醸造術ハ、日本ノ長技ニ属ス…尤(もっとも)国産倍増ノ眼目ヲ得タルモノト謂(い)フへシ」(回覧実記)。


こうした醸造業は「日本ノ長技」

「輸出物」「国産倍増」といった、

久米の予見は、

後年、日本酒以上に、

ビールにおいて、

彼の予想を遥かに上回る形で、実現していきます。


明治三年、米国人コプランドが、

横浜にビール会社を設立したのが、現在のキリンビールの前身であり、

同九年、サッポロビールの前身の札幌麦酒製造所が開業。

いわゆるビールの会社乱立の時代に入り、同二・三十年代には、

百を超える銘柄が売られています。

明治二一年、

麒麟ビールが代理店明治屋により発売されると、

たちまち「全国に其名高く広く世人の飲用する所」(時事新報)

となり、それまでの

英国風の濃厚なビールに代って、

淡麗で冷えたドイツ風ラガービールが、世間に広まります。

同三二年、東京新橋にビヤホール「恵比寿ビール」が開店すると

大評判をとりました。

当時、中央新聞は、

「全く四民平等とも言ふべき新天地…

貴賤高下の隔ては更に無い。車夫と紳士と相対し、職工と紳商と相ならび、フロックコートと兵服と相接して、共に泡立つビールを口にし、やがて飲み去って微笑する処、正にこれ一幅の好画」

と評しています(前掲ビールと日本人)


ビールが、近代日本の産業化や平等化の象徴的な存在であったことが、よくうかがえますが、

そうした近代化や平等化の

まさに象徴ともいえる軍隊や軍隊の酒保(しゅほ)を通しても、

ビールは広がりをみせていきます。

乃木希典将軍が、

新設の善通寺第十一師団長であった明治三一年、

親友で、文部大臣の樺山資紀海軍大将が視察に訪れたさい、

歓迎の酒宴が開かれます。

冒頭、乃木の短い挨拶が終ると、

いきなり「ビール注(つ)げ!」

の号令のもと、ジョッキに並々と注がれ、

「ビール飲め!」

の号令によって、全ての将校による一気飲みが始まります。

それを飲み干すと、またすぐに

「ビール注げ!」

の乃木の号令の声が響き渡り、

「ビール飲め!」。

これが、何回も繰り返され、

参謀長以下、続々と落伍者が出るなか、

十何回目の最後まで残ったのは、

結局、乃木と樺山だけ。

樺山はニコニコしながら、

「みんな、弱い喃(のう)…」

と、乃木と顔見合せながら、

笑ったといいます(同)。

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▼逆転、多角化、世界的ビッグプレイヤーへ


昭和十四年、ビールの消費量は年三十万㎘で、戦前の最高値となりますが、

一人当りでは、現在のワイン消費量にも及ばす、

いまだ都会中心のハイカラな酒でした。

それが、戦中期の軍需の高まりや配給制度の本格化とともに、

ビールは「産業戦士」の国民飲料となり(前掲稲垣)、

戦後の昭和三十年代には清酒を抜いて、

同五十年、戦前の消費量の十五倍以上の五百万㎘にまで達します。

この間、キリンは昭和二九年にシェア三七%で初めて首位に立ち、

五十年代にはシェア六割を超えますが、平成十三年に、

アサヒに首位を奪われます。


昭和四十年代は「ラガー」の時代、

昭和五十年代は「生」の時代、

六十年代は「ドライ」の時代、

次の十年は発泡酒(平成七年~)

つづいて「第三のビール(十五年~)、といったように、

ビールの流れは

大体十年で変わっていきますが、

もっとも鮮烈な印象を残したのは、

やはりアサヒ・スーパードライの出現でしょう。

昭和六一年、

経営難であったアサヒビールの社長になった樋口廣太郎は、

じつは「再建」ではなくて「幕引き」のために、住友銀行から送り込まれたといいます。

ところが、アサヒに来てみると、

「住銀以上に優秀な人材が沢山いた」。

樋口によれば、考えてみれば、

敗戦後、過度集中排除法によって、ビール産業は、アサヒとサッポロに解体されたように、

GHQから見ても、日本のビール産業は、戦前の製鉄や重工業と同様に「日本の最先端産業であり…

優秀な奴が集まるのは当たり前」である。

しかも当時、アサヒには

「少なくとも幹部には他人の悪口を言う人間はいなかった。人間的には良い奴ばかり」であった永井隆『ビール15年戦争』)

本当は、樋口は、住銀の頭取になりたかった。

しかし、アサヒに来てみて、

樋口は「前のことは忘れて」「一つの事に生きよう」と決意し、

幕引きではなく「再建」にふみ切った。

数年後、業界の様相が一変したことは、よく知られています。


それが平成二一年にもなると、

キリンとサントリーという、

当時、すでにアサヒの後塵を拝していたものの、

いぜん大企業である二社の巨大合併が、

新聞で大々的に報道されて世間を驚かせます。

しかし、その七年前の平成十四年、

サントリー四代目社長の佐治信忠は、

少子高齢化の時代環境から、四社体制はいずれ崩れるのは明らかである、

そうなれば、「サントリーは五年以内にМ&Aを行う可能性がある。その対象はキリン」である、

と予見していた(同)

この巨大合併の話は、結局、決裂しますが、

平成二六年、佐治は、

バーボンで知られる米国ビーム社を百六十億㌦(約一兆六千四百億円)で買収。

当時、佐治は

「ウィスキーは日本の酒であるとチーフブレンダーサントリーのチーフブレンダー・輿水精一)も言っている」、

「世界に打って出る最後で唯一のチャンス」であると位置づけていました。

さらに、サントリーHⅮは、

キリンHⅮを抜いてしまうどころか、

東京五輪が開催される2020年の末には、

グループ売上高「四兆円」をめざすとして、

飲料業としては、

コカ・コーラやビール最大手のAB(アンハイザー・ブッシュ)インべブとも肩を並べるような、

世界一の規模となる壮大な計画をぶち上げています(永井『サントリー対キリン』)。

iZYrC7SnyW.jpg驚くような

技術革新、業界の勢力図の逆転、再編、再逆転、

世界市場における「超ビッグプレイヤー」へ―

IT業界を除けば、

これほどダイナミックな展開を見せる、伝統的な産業は、

ビール業界の他には、

まず見当らないといえます。

そもそも、ビール産業は、

近代の産業化・平等化の申し子として出発し、

やや高級で、都会的な飲料でした。

それが、戦時期の軍需の高まりとともに「国民飲料」となり、

戦後の高度成長から、

サラリーマンや労働者たちの代表的な酒となった。

その後、バブル期に向かう「豊かな」時代においては、

倒産の危機もあった状況のなか、

画期的な技術革新が現れた。

また、当時の個性化、多角化の社会状況にも巧みに対応し、

さらにバブル崩壊後、

しだいに明確になってくる、少子高齢化、減産、そしてⅯ&A、世界的な再編といった、

いわゆるグローバル化時代の荒波をも乗り越えて、

いまや世界市場の「超ビッグプレイヤー」として君臨する巨大産業に成長した❗

まさに、敗れざる企業精神、

底知れぬバイタリティの発揮、

卓越した先見性の連続…。

日本のビール産業には、

「日本の長技」としての伝統的な醸造業が、巨大な現代企業へと成長する姿、

れも、戦後日本の大企業のあり方を大きく超えて、

グローバルで、世界的な

超ビッグプレイヤ―として成長し続けていく

「偉容の歴史」の雄姿を見ることができる

のではないでしょうか。

http://www.seisaku-center.net/monthly?page=1

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