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譲位と国民統合の文明史的意義❕📚📕

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▼譲位と国民統合の文明史的意義


土井郁磨(亜細亜大学非常勤講師)


皇室典範第十条の義解によれば、

いわゆる三種の神器

八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま))は

皇位の御守(おまもり)」であり、

歴代即位の時は

必ず神器を受けると記しています。

『帝室制度史』五の解説(昭和17)にも、

「神器は国初以来皇位の御守として歴代相承(あいう)けたまふ、皇位の在(い)ます所神器必ず之(これ)に随ひ…須臾(しゅゆ)も離るべからず。之を古来の大法とす」

とある。

また、記紀神話によれば、

鏡と勾玉は、

天岩戸(あめのいわと)開き、

剣は素戔嗚尊(すさなをのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から得た宝剣に由来し、

天孫降臨の際に、天照大神から瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられました。

律令の神祇令(じんぎりょう)における即位儀は、

天皇が高御座(たかみくら)に上り、

忌部(いんべ)氏から「神璽之鏡剣」を受けることが

中心の儀礼でした。

平安期に入り、即位儀に先だって践祚儀が成立すると、

剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀が行われ、これが現在まで守られてきたのです。

けれども、帝室制度史は、

その異例として、

清寧天皇は神器を承けて三月をへて践祚

推古天皇は神器を承けても翌月践祚

という例を挙げています。

また、先帝と新帝が

同殿に在ます場合も、剣璽渡御は行われず(戦国期の後奈良天皇践祚)、

後鳥羽天皇は神器を承けずして践祚された。

つまり、

神器はあくまで「御守」であり(鎌倉期の百練抄も「御護剣」と記す)、

皇位継承の絶対不可欠の条件であったかどうかは、

微妙といえます。

また、神器は、

必ずしも皇統の所在を示す証拠ともいえず、

北畠親房神皇正統記』も、

神器の所在ではなく

「父子一系」の継承を

正統(しょうとう)と論じました。

近世には

「三器を擁するを以て正となす」(栗山潜鋒)

との神器正統論も現れますが、

しかし、

「正統は義にありて器にあらず」(三宅観瀾)

「然らば…盗賊をして神璽・宝剣・内侍鏡を持たしめんか、盗賊もまた皇統と為す」(頼山陽

とあるように、

神器正統論は、

奇矯な説と考えられました(岡野友彦)。

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一方、譲位儀礼では、

天皇宣命に従って

剣璽渡御が行われました。

儀式書によれば、

先帝の宣命が読み上げられた時点から「新帝」と表記し、

宣命によって一瞬の空白も置かずに皇位が移動する体制が存在していました。

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また、宣命を中核とする王朝儀礼には

①賜禄(しろく)・宴(節会、御斎会(ごさいえ)等)

②叙位(大嘗会、成選(じょうせん)位記等)

➂任官(大臣、僧綱(そうごう)、郡司、出雲・紀伊国造

④身分変更(譲位、即位、立后立太子、将軍節刀、弔喪)

等があり、

花山天皇の落飾や後鳥羽天皇践祚でも、

譲位の伝国宣命(でんこくせんみょう)は作られました。

歴史学では、一般的に、

官僚制等の発達に伴い、

神器(レガリア)授受よりも

皇帝任命式(中国では冊礼)の正当性が高まるとされます(金子修一)。

日本の場合、

古来の宣命という

天皇の言葉をそのままのかたちで拝聴できる手段」(春名宏昭)、

最上位の法(大津透)が、

王朝儀礼の中核となっており、

身分や地域、宗教や文化の違いも超えた、

あらゆる儀礼的な秩序が、宣命を中心に、

同一の政治的空間のなかに

共存し、統合化されていました。

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▼GHQ以下の解釈で、国難に対処できるのか


さらに、歴史的には、

神器のうち、

神鏡を奉安する賢所(かしこどころ)への崇敬も高まり、

室町以後、賢所への御供物や御料(修理や新調、行幸、神楽等)は、

公卿や廷臣、幕府、織田信長ら武将、僧侶が献ずる例も現れます。

さらに、臣民一般の賢所参拝も許されるようになり、

江戸期の元禄年間には、

一般人の参拝は

「例年の如し」と記録され、

庶民群集のため町奉行

参詣時刻を制限した例もある。

明治に入って、一般参拝はなくなりますが、

岩倉遣欧使節は、発遣式の後、

賢所皇霊殿を拝しました(帝室制度史五)。


昭和六四年、天皇崩御により

剣璽等承継の儀(一月七日)、

即位後朝見の儀(九日)、

平成二年秋には、

即位礼正殿の儀、祝賀御列の儀、饗宴の儀が、

国事行為として行われました。

政府見解としては、

剣璽は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(皇室経済法第七条)であり、

政教分離に違反しない、

また、

天皇が昇られる高御座も

「伝統的皇位継承儀式の中核」たる即位式で常に用いられ、

文化的、伝統的な面に着目すれば「国民主権主義」に反しない

とされました(園部逸夫)。

要するに、

剣璽国璽、高御座、装束の黄櫨染御袍(こうろのぜんのごほう)、お言葉等は、

由緒ある皇位継承儀礼として「国事行為」の行事とされたのです。


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けれども、

これらは昭和天皇崩御に関する解釈であり、

現在のような譲位という事態を

全く想定していない法的理解でした。

本来、歴代の譲位や即位は、

宣命という

天皇の言葉をそのままのかたちで拝聴できる手段」

に従って実現していました。

これは、神器の継承のみならず、

それ以上に、宣命こそが

多様性の共存や統合化という

「国民統合」に通じる意義を持っていたこと意味しています。

にもかかわらず、

現在の政府見解では、

皇位と神器の一義的な理解に制約されて、

憲法上の「象徴」の持つ

国民統合からの歴史的な観点が、

欠落しています。

事実上の現憲法の制定者たる

GHQの理解によれば、

象徴天皇とは

元首、立憲君主のことであり、

「国民の間の思想、希望、理念が融合して一体化するための核…尊敬の中心」

とされました。

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E・バークによれば、

英国の権利章典

「国民の権利と自由を宣言し、かつ王位継承の原則を確定させる法律」と呼ばれ、

国民が権利と自由を有することは、王位の継承と一緒に表明され、

両者は密接不可分とされました。

昭和天皇も、

憲法上の「象徴」天皇

英国流に近い立憲君主と見なしていました。

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今上天皇も、象徴天皇を、

後奈良天皇による

「朕民の父母として徳覆(おお)ふこと能(あた)はず、甚だ自ら痛む」

との写経奥書をはじめ、

歴代天皇の国民への思念という「伝統」の上に位置づけました。

近時、皇太子殿下も、

この後奈良天皇の奥書きに、

深い感銘を受けたと発言され、

歴史伝統の上に位置づけられた象徴天皇制

引き継ぐ意向を示されています。

古来の歴史を見れば、

譲位や即位をいわば儀礼的な始点にして、

国民統合化や多様性の共存は、

天皇宣命という

「最上位の法」

天皇の言葉をそのままのかたちで拝聴する」ことによって実現されました。

そうであるならば、

来るべき新天皇への譲位も、

GHQの理解にも劣るような

政府の一面的で狭量な解釈は、

このさい改訂すべきであり、

むしろ、歴史的な国民統合、

すなわち

皇位継承と国民の自由と権利の理念が

密接不可分の形で表明することが肝要といえるでしょう。

またこれによって、

歴史伝統の上に成り立つ立憲君主制

最もふさわしい、

本来の意味において

皇室と国民が一体化する、

まさに国民統合の儀礼として

代始儀礼を位置づけることになり、

近い将来、

予想される東アジア有事の「国難」に向けて、

より根源的で、

深淵な対処法となる

のではないでしょうか。

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