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「国民の総意」を導き出した歴史慣習


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歴史のことば劇場⑰

▼「国民の総意」を導き出した歴史慣習
                                      
歴史学者による新刊『皇位継承』(吉川弘文館)を読むと、
その序には「今回の代替わりで二〇二年ぶりに『復活』する譲位は…」「二一世紀になって復活することになった」(高橋典幸)などとあります。
どうやら学問的には、
退位というより、“譲位の復活”と考えられているようですが、
同書では、
伊藤博文が明治の旧皇室典範で譲位を廃止した理由として、
伊藤は天皇の「随意」として譲位を否定した、
つまり譲位は天皇の意思が反映され、皇位継承に政治的意思が介入すると考えて否定した
と推測されています(西川誠)。
それはちょうど
井上毅天皇の意思を重視する傾向から賛成したのとは全く対照的で、
また伊藤は、ドイツ国法学が王位継承法に君主の恣意が入るのを忌避していたことを学んでいた(小林宏)。
けれども井上毅
「皇室継統ノ事ハ祖宗ノ大憲在(あ)ルアリ、決シテ欧羅巴ニ模擬スへキニ非ス」
などと論じた。
要するに、
伊藤の譲位否定には、ドイツ国法学や西欧近代主義的な思考の影響が認められ、
一方、井上による譲位の肯定は、
「祖宗の大憲」「不文の憲法」との歴史慣習によるものと考えられていた、
と大別できるようです。

宮内庁参与・三谷太一郎氏(東大名誉教授)のインタビュー記事によれば(朝日新聞3/29)、
「2010年7月の参与会議で天皇が退位について話された」のであり、それは「非常に大きな衝撃だった…憲法が直面した最大の問題と考えた」
「政治家も学者もまったく予想しなかった」、
その後も「保守派もリベラルも概して否定的だった」、
また現憲法の第一条の後段、
「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基(もとづ)く」の条文については、
国民の総意とはルソーの「一般意思」に近いとも述べています。

しかしながら、
天皇が当時「退位」と発言されたとは、
後の皇族方の「譲位」との言及からも考えられず、
またルソーの一般意思に近いなどは、
GHQ草案の同条の前段「国民統合の象徴」との語が
そもそも英国の立憲君主制に由来するとの通説的な理解と対立します。
要するに、
周辺の関係者が、天皇の発言を正確に語らず、
憲法の理解も、特定の解釈に偏り、
さらには
「衝撃だった」「憲法の最大の難問」「政治家も学者も予想しなかった」「保守派もリベラルも否定的」となると、
彼らのいわば伊藤博文以上に西欧近代的な思考法は、
天皇の意思の否定のみならず
「国民の総意」や、あるいは令和の新時代を導いたものではなかった、
いやそれに明らかに逆行しており、
むしろそれを導き出したのは、
彼らが否定した天皇の意思によるものであった、
それゆえ、
国民の総意たる新時代の始まりとは、
彼らが憲法に反するとして否定した
天皇の事実上の発議や提案によるものであった
ことになります。

いっぽう、
上皇陛下と天皇陛下は、「象徴」のあり方に関して、
嵯峨天皇以来の写経の精神や
歴代天皇の事績を示されました。
この歴史的な説明に対する有力な反論は、
未だに見当たらず、
もはや、ルソーであれ、ドイツ国法学、現憲法の特定の解釈であれ、
今回の譲位や改元に関するの説明は困難であり、
そうした西欧近代的な理解では
明らかに無理があることになります。
そうなると、
むしろ井上毅の見出した
「祖宗ノ大憲」の歴史慣習が、
いぜん千鈞の重みを持ち、
また、現憲法上も、
天皇の事実上の発議や提案は想定されていない以上、
憲法においてもその条文にはない
「不文ノ憲法」こそが、
天皇の意思にもとづく皇位継承改元
すなわち
新時代に向けた国民の総意と国民統合を導き出していたことを
如実に示しているのではないでしょうか。
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