この「非法律的」な文学作品が素材の「法制史研究」には、驚くべき独創性があり、
初版(大正12)にある宮武外骨の跋文に曰く、
ある時、吉野作造が外骨に対して、「中田博士は帝大の法学部長に推された際も、そんなウルサイ役は御免だ、研究室の図書に埋って居る方がよいと応じなかった程の超俗家だ。
古法制ばかりか古文学も好きでキミの著作も読んでいる。一度逢ってみたまえ」といい、
その時貸与された論考『徳川時代の…』を通読した、
そして外骨は「多大の驚異と無限の快感に打たれた」
「世間に浮世草子などを読む人は多くあっても、只其(その)文藻を愛するばかりで…自己の研究事業に利用する人の少い当世…
重要な私法(民法など)を説明し尽した事は、真に畏敬すべき絶世の好著述である」
中田は、江戸の軟文学を渉猟し、
武家の封建法とは異なる、一般の普通法(慣習法)の世界を発見し、
それらルールの背後にある、固有的ながらも先進的な道徳性を明らかにします。
例えば、武家に相続権はない。大名の国替えのように、家禄や家名を継承するのは、
封主より「家督仰付」られる「再給」にすぎない。
しかし庶民は自由相続である。
現代は法定相続が原則で、遺言相続は例外的だが、
江戸の普通法は、遺言相続が原則であり、隠居の生前相続も多い。
古代ローマ法も、遺言相続が原則で、法定相続は例外だから、
「我が固有法は…ローマ法と主義を相同じうす」
また、徳川幕府が西欧流の分権の弊に陥らず、中央集権で統御されたのは、武家の相続権の否認に由来するという。
因みに、幕府の相続権の否認が、
結果的に、明治維新の廃藩置県などの急速な近代化の事業を可能にしたのは、周知の通りです。
それらは「権力にあらず保護なり。権利にあらず道徳的職分なり」。
その先祖・血族に対して負う倫理的任務は、法律の外に「独立し…法律上の義務よりもさらに強大な道徳上の職分」であり、
権利観念では説明できない。
それを明治の旧民法が
戸主権や家督相続と称したのは「前古無類の新制度なり」。
「精神、制度と化して死す。これ歴史の法則なり」(内村鑑三)
要するに、