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「歴史を無視する立法」は精神を滅ぼす

歴史のことば劇場40


江戸時代の結婚といえば「何事も親の言う通り…」と思いがちですが、
じつは「予め同意を求める」のが「普通の順序」だったそうで、
これは中田薫(法制史家、18771967徳川時代の文学に見えたる私法』に見えており、天保年間の
今様櫛(あだくらべいまようぐし)
との人情本(小説)には、
「…親子と(もうし)ても最早十五歳以上になれば、一人前のと申すもの…
親じゃと申て、御自分の了簡で一応いひ聞せもせずに、縁談をきはめると申事が、まアござりましょうか」とあり、
この口上を「参照すべし」とあります。

この「非法律的」な文学作品が素材の「法制史研究」には、驚くべき独創性があり、

初版(大正12)にある宮武外骨跋文に曰く、

ある時、吉野作造が外骨に対して、「中田博士は帝大の法学部長に推された際も、そんなウルサイ役は御免だ、研究室の図書に埋って居る方がよいと応じなかった程の超俗家だ。

古法制ばかりか古文学も好きでキミの著作も読んでいる。一度逢ってみたまえ」といい、

その時貸与された論考『徳川時代の…』を通読した、

そして外骨は「多大の驚異と無限の快感に打たれた」

「世間に浮世草子などを読む人は多くあっても、(ただ)其(その)文藻を愛するばかりで…自己の研究事業に利用する人の(すくな)い当世

重要な私法民法など)を説明し尽した事は、真に畏敬すべき絶世の好著述である」

中田は、江戸の軟文学を渉猟し、

武家の封建法とは異なる、一般の普通法(慣習法)の世界を発見し、

それらルールの背後にある、固有的ながらも先進的な道徳性を明らかにします。

例えば、武家に相続権はない。大名の国替えのように、家禄や家名を継承するのは、

封主より「家督仰付」られる「再給」にすぎない。

しかし庶民は自由相続である。

現代は法定相続が原則で、遺言相続は例外的だが、

江戸の普通法は、遺言相続が原則であり、隠居の生前相続も多い。

古代ローマ法も、遺言相続が原則で、法定相続は例外だから、

「我が固有法は…ローマ法と主義を相同じうす」

 また、徳川幕府が西欧流の分権の弊に陥らず、中央集権で統御されたのは、武家の相続権の否認に由来するという。

因みに、幕府の相続権の否認が、

結果的に、明治維新廃藩置県などの急速な近代化の事業を可能にしたのは、周知の通りです。

 さらに家長権や家督権は、徳川時代には存在しない。

それらは「権力にあらず保護なり。権利にあらず道徳的職分なり」。

その先祖・血族に対して負う倫理的任務は、法律の外に「独立し…法律上の義務よりもさらに強大な道徳上の職分」であり、

権利観念では説明できない。

それを明治の旧民法

戸主権や家督相続と称したのは「前古無類の新制度なり」。


「精神、制度と化して死す。これ歴史の法則なり」内村鑑三

要するに、
中田によれば江戸よりも明治の方が逆行しており、
それも戦後には消滅してしまうから、
中田は、非法律的な文学のなかに「法の一般精神」を見出すばかりでなく、
「歴史を無視したる立法」は、権利義務を超える慣行的な道徳性を喪失させ、
長期的な発展や継承でなく、混乱や退廃をもたらすことをも警告していた
と考えられるのではないでしょうか。