歴史のことば劇場39
どうやら女系容認は、法律的な無知や逸脱の産物のようで、
憲法を遵守すべき行政府には
男系継承以外は選択の余地がなく、現実の施策の方針として取りようがない。
また上記の説は、
皇位は「世襲」とある憲法条文を、男系継承の意味と解釈(小嶋和司)した従来の「憲法解釈」や「条文解釈」の次元とは異なる
「憲法慣習」といういわば原理・原則の問題であり、
「実質的な憲法」(渋谷)との高次の次元でとらえた所に、
議論としての優れた画期性や妥当性があると思います。
しかし一方で、同書は、
また憲法慣習は、次の二つの要因を満たす必要があるという。
第一には、物的あるいは客観的要因であり、
「長期にわたり継続または反復してなされていること」。
第二には、人的あるいは主観的要因であり、
第一の要因を「主権者が支持し…規範としてまもらなければならないという確信をもっていること」
いかに主権者の「国民」であれ、
天皇の地位の「継続性」を、前回述べた横田耕一氏の断絶説のごとく否定するのは無理があります。
しかも主権は「もっぱら、そのときどきの権力の現実を正当化するイデオロギー」となりうるし、
英国の市民革命における権利章典(1689)は、
正式名が「臣民の権利及び自由を宣言し、王位の継承を定める法律」であり、
E・バークによれば、民権と王位継承は「密接不可分」のもので、憲法とは「道徳的な拘束」である。
「この道徳的限界は、国家のあらゆる権威を行使する人々を完全に拘束する……肩書の違いも、身分の違いも、そこにはない」
現政権に限らず、いかなる政権であれ、この当然の原理・原則を無視する行動は、
皇位の正統性はもちろん国民の「権利及び自由」をも危険にさらす「権力の濫用、逸脱」ではないか。
それゆえ、男系継承の模索や推進以外には行政府に取るべき道はない、
それ以外の施策は現憲法の許容するところではい、
と考えるのが、法律的で、常識的な思考ではないか。
要するに立憲主義や法の支配の精神に反しており、
あらゆる国民が従うがゆえに権力が抑制され、自由や権利が保証される「憲法慣習」の原則に反している
と考えられます。