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自由世界の「普遍的な結束」とは

歴史のことば劇場67

自由世界の「普遍的な結束」

「頭を金髪に染めても、鼻を高くしても(我々アジア人は)決して西洋人になれない」

先日、中国外交のトップが人種差別的な発言をして物議を醸したそうですが、

起源的に日米同盟は1946年6月末、米国国務省政策企画室J・Ⅾ・ペイトンが講和条約に関して室長のG・ケナンへ提出した報告書に、

「安定した日本を米国に友好的な太平洋地域経済圏に統合し、有事には米国の方針に即応し信頼しうる同盟国とする」とあり(五十嵐武士)、

また47・48年頃におけるケナンと吉田茂との「認識の一致」(中西寛)によって旧敵国ではなく、潜在的同盟国への関係の構築が始まります。

50年代、W・ロストウ(後に米大統領補佐官)らが展開した「近代化論」は、マルクスのアジア停滞論などと異なり、

「伝統社会から近代」への転換を工業化や議会政治、都市化、科学思想の普及などの「諸相」から探りました。

彼らによれば近代化は国家や民族を超えた「普遍現象」であり、とくに西欧と日本には近代化を用意した「封建制の平行現象」があるとし、

ライシャワーは日本近代の起源を戦国時代に求めました。

 またライシャワーは、沖縄政策の見直しが米国で始まる契機をつくりました。

彼が駐日大使だった65年10月、ラスク国務長官に充てた書簡で、70年の安保条約の期限切れを前に、

60年安保騒動の再燃や政治的混乱を避けるため、沖縄の施政権の返還および米軍基地の諸権利の維持などを提言し、ここから政府内で議論が始まります(細谷千博)。

 沖縄返還キッシンジャーによれば「すぐれた外交の見本」であり、米国は一方的に譲歩したよう見えるが実際は何ら権利を失わなかった。

ライシャワーの後任大使のジョンソンによれば「中国や北朝鮮が侵略的行動に出なかった」のは、米軍が沖縄の基地から核兵器や通常兵器を使用する「自由な行動」が可能だったからだ。

しかしベトナム戦争の深刻化から米国の政策は東アジアで貫徹できなくなり、日米は「共通する利益」を有することを慎重に外交交渉により明らかにしなければならなくなった。

つまり、沖縄の返還によって、米国のみならず日本も「最低限の抑止力」とは何なのかを「純粋に国益の観点から決定」しなければならなくなり、米国だけが中国や北朝鮮の軍事力に対峙するのではなく、日本も「国益の観点」から抑止力たる安全保障に積極的に参加する義務が生じた。

またキッシンジャーによれば、同時期の繊維交渉から、日米は経済的競合関係にありながらも保護主義や自国優先主義を回避し、「どの政府もまだ解決できていない問題を解決」に向かわせる方向を示した。

要するに、全体主義に対抗する日米同盟と安全保障の「深化」とともに、人種や文化どころか領土問題、歴史認識、経済的競合をも超える「自由世界の普遍的な結束」がもたらされた。

しかしその反対に、全体主義の陣営ではこれら諸問題の「解決」はいぜん困難であり、

西側における「相互主義の歴史」とは違って、

不信や抗争、謀略が渦を巻き、暴力や利権、圧制などを使って強引に抑え込む事態がつづくと考えられるのではないでしょうか。