🔲人は「見た目」か?名著に見る幸せのカタチ
▼なぜか「美人排斥」「不美人成功」論
一昨年(平成29)、『人は見た目が100パーセント』というTⅤドラマが話題になり、
それ以前にも、平成17年に『人は見た目が9割』(竹内一郎)という本がベストセラーになったこともありました。
ああ、人は外見か、やっぱりね
と、タイトルだけ見てもそう思った人も多いかと思います。
ところが、
上記の竹内氏による「見た目」とは、「顔」のことではありませんでした。
本書によれば、
近年の心理学によると、人間が会話などで、言葉で伝えている情報は、わずか7%にすぎず、
残り93%は、顔の表情や声の質、テンポ、身だしなみや仕草も大きく影響している、
とあります。
つまり、著者によれば、
人間は、言葉やその内容ではなく、
話し方や表情、マナーやタイミングの方が、はるかに豊かな内容を伝えている、
それゆえ、
これからは言葉や文字ではなくて
「非言語的(ヽヽヽヽ)なコミュニケーション」の時代であり、
身体的なイメージの方がより大切になる時代である、と。
なるほど。
でも、「非言語的」云々というより、
ホントのところの「見た目」の良し悪しの方は、どうなのでしょうか?
顔の美醜どころか、肌つや、体型、服装のセンス、髪型などで、
人は全然イメージが変わりますが、
しかしこれがどこにもハッキリとは書いてない。
むしろ明らかに避けていると思われますが、
しかし世の名著というか、道徳的な本は、全然違います。
ズバリ見た目、それも、
損か得かについて論じています。
例えば、明治39年(1906)の女学校(じょがっこう)(中等・高等教育)用の修身(現在の道徳)教科書に
『中等教科・明治女大学』があります。
その「第六節 容貌」には(井上章一『美人論』)、
「美人は、たいてい高慢になり、堕落し、人間の高い徳を失うことが多い。…
これに反して、醜女(しこめ)には、従順、謙遜、勤勉など、いろいろな才徳が生じる」(現代語訳)
とあります。
また、大正期の『新定教科 女子修身書』にも、
美人は「虚栄心」が高じて人生に失敗し、不美人は努力するから成功する……。
こうした、
美人絶対失敗論、不美人絶対成功論は、ある種の決めつけ、偏見にも見えますが、
しかし当時の女学校には「卒業面(そつぎょうづら)」という非常に侮蔑的な言葉がありました。
当時の女性の大半は、早ければ10代半ばから10代後半、女学生なら卒業を待たずして早々に結婚します。
けれども、当然、取り残されてしまう人もいるわけで、
これが「卒業面」です。
「卒業面」-
そう呼ばれた女性は、どんなに悔しい、悲しい思いをしたでしょうか。
このため、修身教科書は、
勉学に励んだ女性を、なんとか弁護し、努力は決してムダではない、と教える意味で、
「美人は堕落する」「不美人は努力して成功する」との論を展開したとも言われています(前掲井上)。
▼世間は、身分、立場で評価を変える
これが有名な福沢諭吉の著作になると、少し次元が違ってきて、
「かたは(わ)娘」(1872)という、
今日に言うところの身障者の話を持ち出してきます。
あるお金持ちの家に可愛い女の子が生まれたが、生まれつき眉毛がなかった。
歯もお歯黒のようにまっ黒で、年頃の14歳になってもそれが直らず、
口さがない連中は「かたわだ」(現在では明らかに不適切な表現ですが)「らい病だ」「あの家の裕福さの報いだ」と、
殆ど差別まがいの悪い噂をふりまく。
両親は悲しみ、必死で医者に見せ、神仏に祈り、
全財産にかえてもと、八方手をつくしますが、何の効果もない。
かたわ娘の不幸は、当人ばかりか両親にとっても大きな嘆きでした。
「しかし」と、福沢は続けます。
福沢諭吉「かたは娘」(明治5年。現代語訳)
…しかし、娘が二十歳すぎになると(つまり婚期を逃した年齢になると)、
不思議に誰も何の噂もしなくなった。両親はふさわしい婿を探して結婚させた。
すると「かたわ」とよばれた娘は、立派に一家の主婦となり、両親の心配も、あとかたもなく消えた。
…ああ、この娘は、不幸に生まれて、幸せを得たというべきだ。
もし外国で不具に生まれたら、一生結婚できなかったに違いない。
幸い日本に生まれたので、結婚すれば、皆と同じ、眉のない、お歯黒の「かたわ」で、立派な主婦になれたのだ……。
福澤が、お歯黒や眉を剃る(江戸時代では既婚女性である場合が多い)などの古い習俗を、まるで「かたは」と同じであり、日本でしか通じない奇妙な風習として、からかっているのは明らかです。
要するに
人の顔の良し悪しなど、ヘンテコな因襲や偏見と、何も変わりがない。だから、時代や状況が変われば、他人の見方や評判などは、あっけないほど変ってしまう。
福沢は、修身教科書の決めつけ、あるいは弱者への同情論と違って、現実的で、実態を暴露するような考え方をします。
つまり、世間の評価とは、そんなもんだ、その人の立場や地位によってガラッと変わるんだ、
それは先入観や偏見にすぎない、そんなものに一々、かかずらわってどうする、大した意味ないんじゃないか、だって変わることもあるんだよ、
と言っているようにも聞こえます。
当時、女学生の数は、
大正期で10万人、昭和10年代に60万人を超え、
進学率では男子の中学進学を追い抜きます(唐澤富太郎『女学生の歴史』)。
すでに、男女平等どころか、
男女逆転の時代に入りつつあったともいえるのですが、
これが戦後になると、
もはや、修身教科書のような美人攻撃ではなくて、
「みんなで『私は美人だ!』といおう」(三宅艶子)とか、
「百人いれば、魅力も百通りある」(落合恵子)、
「知性の美」、「働く美」、「個性の美」といった、
いかにも戦後的な個人的というか、女性進出的な物言いが、ずらっと現れます(前掲井上)。
けれども、「みんな美人だ」とかいう言い方は、
要するに、民主主義や平等となった時代の方が、美醜については「語りにくい」「さし障りがある」のであり、
人々はいわば「偽善的になった」といえるのかもしれません(井上)。
そうした遠慮がちな傾向に反発するかのように、
平成になると「ブスな女がカッコいい」「あなたの良いトコ探します」(つんく♂『LOVE論』平成10)などと、
有名人からわざわざ美点を見つけてもらい、教えてもらうような本が、ベストセラーにもなったこともありました。
けれども、「ブスがかっこいい」「あなたも良いトコある」というのも、
どこか「みんな美人だ、それでいいんだ」式の偽善や遠慮を引きずっている感は、否めません。
▼弱点にこだわるな(福田恒存)
けれども、こうした「みんな美人だ」「みんな違って、みんないい」式の、偽善というか
人間平等の精神というか、
あるいは機会均等のような考え方に対して、
かつて、劇作家で評論家の福田恒存(つねあり)(1912~94)は、次のように述べました(『私の幸福論』。初出は昭和31~32)。
福田によれば、
雑誌の身上相談を見ると、浮気されたの、男に捨てられたのという相談がよくある。
けれどもそうした訴えを読むたびに福田は「一種のもどかしさ」を感じるという。
「そのもどかしさとは、一口にいえば、悩みを訴えるひとの顔が見たいということであります。顔を見なければ、とても答えられないという気がするのです」。
それはひどい、随分な言い方だと思われるかもしれないが、
身上相談とは、いつも「女性という女性が、みんな同じ魅力をもって生きているという仮定のもとに答えるのです。私のように意地悪く顔が見たいなどとは申しません」。
けれども、「醜く生まれたものが美人の同様のあつかいを世間に求めてはいけない」。
そこに不幸の原因がある、と福田は言います。
よく世間では、顔は拙(まず)いけれど心は良いとか、
ここはマイナスだがここはプラスだといいたがる。
しかし、その考え方では、永久に弱点は消え去らない。
永遠に弱みが無くならない、厳然と存在しつづける。
いやむしろ「無意識の領域にもぐりこんで、手のつけられない陰性のもの」になる。
それがひがみであり、劣等感(コンプレックス)であり、一番やっかいなのだ。
だから「醜(しゅう)、貧(ひん)、不具(ふぐ)、その他いっさい、持って生まれた弱点にこだわるな」。
むしろ短所をすなおに認めること。
こだわらぬこと。
そうすれば、他に埋め合せの長所をしいて見つけなくとも、短所を認めるすなおな努力そのものが生きてくる。
いつの間にか「長所を形づくり、隠れた長所が現れてくる」、と。
こうした福田の議論は「例外的な人生論」(前掲井上)だといわれます。
そういえば、福田以外は、
弱点やひがみを正面から認めるというよりも、
何とか見ないようにして、あえて論じない話か、何かにすり替える話ばかりが目立ちました。
近年のベストセラー本であっても、こういう平等論の偽善から逃れていません。
福田によれば、世間には「なるべく触れたがらない」話がよくあります。
しかし、真実は「たいていそういう世間がなるべくふれたがないもののうち」にひそんでいます。
そうなると、「例外的」な福田の話の方が、よっぽど「役に立つ」のであり、
短所をすなおに認めて、「こだわらない心」を養う方が、
むしろ「人間の生き方、幸せのつかみ方」に近づけるようです。
▼他者との比較を超える、不断の努力
話は急に変わりますが、現在も、宗教テロや民族紛争など激しい争いや戦いが、未だに世界で続き、終わりが見えないのは、なぜでしょうか。
ユーゴ紛争をはじめ国際紛争、民族テロの現場を長年にわたって取材し続けたマイケル・イグナティエフは『民族はなぜ殺し合うのか』の中で、
次のように述べています(1996。以下は、幸田敦子氏の「訳者あとがき」による)。
ナショナリズムの、まず暴力があってその後の言い訳として名分がついてくるのと同様で、他者の優位に立ちたいとの欲求が根っこにあって、その口実として両者の違いが持ち出されるだけのこと。
いったいヒトは、比べずには、格付けせずには、攻撃せずには、生きていけぬものなのか。
とうてい生きていけぬもののようだと、紛争の地をつぶさに見てきた著者(イグナティエフ)は、最後に述べています。
それがヒトの本性(ほんせい)だと。
「人ではなく法による、力ではなく議論による、暴力ではなく和解による統治とは、ヒトの本性に深く反するものであり、これを達成し、維持するには不断の努力で本性を克服するしかない。」
つまり、戦争も、宗教テロも、民族紛争も、
「他者の優位に立ちたい」、「差をつけたい」、「見下したい」、「格付けしたい」、「高みから軽蔑したい」といった、
自尊心や自惚れ、他者への妬み、ひがみ、攻撃などという
「ヒトの本性」、「他者との比較」から来るものだと、
イグナティエフは見ています。
別の言い方をすれば、
あらゆる争いや諍いによる悲惨さの原因とは、
「対人関係によって規定された誇り(プライド)。つまり欺き嘲弄し馬鹿にする我執にこそあると言わなければならない。道義の解体に基づくこの赤裸々なエゴイズムの承認、すなわち人間価値=徳は、所詮は他人の評価によっているというリアリズムの故である」
とも考えられます(小野紀明ら『知のフロンティア叢書2』)。
そもそも、思想家というのは、
「洋の東西を問わずいつの時代でもエゴイズムと格闘し、それを超え」ることを自らの課題としてきた(同上)。
しかし、世間ではいぜんとして「人は見た目がすべて」といい、
美醜への「こだわり」といい、
あるいは「みんな美人だ」とか「みんな違ってみんないい」、「ブスがかっこいい」式の偽善性も、みなそうなのですが、
要するに「他者の優位に立ちたい」「比較したい」というエゴイズムからすべて来るものでした。
あるいは、そうしたエゴイズムが存在するにもかかわらず、
それを何とか直視せずに避けるための、巧妙な手の込んだやり口だった、
といえるのかもしれません。
しかしながら、それでは問題はいつまでたっても解決しない。
だから福田は「こだわるな」、「自分の短所をすなおに認めよ」というのです。
それは、エゴイズムの醜い争いや手の込んだ回避を超えるばかりでなく、
そうすれば、長所をしいて見つけなくとも、すなおな努力そのものが生きてくる、「隠れた長所が現れてくる」。
本当の長所は、
他人と比較していたのでは出てこない。
現れない。
だから「他者との比較」をやめなければならない。
また、「他者との比較」を超えるということは、エゴイズムを無視したり、否定するというよりも、
自分のエゴイズムや醜さを含めて、問題を直視しながらも、
つまらない争いやトラブルから離れるための処世術でもある、
そして何より、自分の良さを自然と引き出すコツであり、
人間が幸せになるコツであると、
福田は述べました。
しかし、さらにいっそう重要なことは、
「こだわぬ」ということは、
幸せのコツというばかりでなく、
「人は見た目がすべて」、「外見は真実に打ち勝つものであるから外見が幸福の決め手になるのだ」、
あるいは「正しく(あるいは美しく)あることではなく、正しく(美しく)思われることこそが重要」といった、
あまりにも赤裸々で、行き過ぎたエゴイズムを克服する仕方だということです。
人間のそうした「抜きがたい我執」から逃れる術(すべ)であるということです。
これらは、じつは世界で最も基本的な思想的な課題の一つであり、
イグナティエフのいう、現在の戦争や武力紛争の本質にある
「他者の優位に立ちたい」という「ヒトの本性」から離れ、
それを克服することにつながると考えられます。
つまり、「人ではなく法による、力ではなく議論による、暴力ではなく和解による統治」のための、
「これを達成し、維持する」ための
「不断の努力」にむけた基本姿勢に通じています。
武力紛争であれ美醜の問題であれ、
人間のエゴイズムや恣意的な基準から離れることが、
最も本質的な課題となるからです。
大げさではなく、
美醜や優劣に「こだわるな」、
「持って生まれた弱点にこだわるな」との福田の教えは、
世界の哲人的な思想の中核に通じる考え方でした。
いたずらに他者と比較しない、
比べない。
それは、日常の人間関係への対処ばかりか、
結局のところ、武力や紛争を避けるための「不断の努力」に通じるような、
いま我々にできる、
最も身近な行為の一つ
なのかもしれません。