doi_iku’s blog

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追補:《日本人になった》帰化人🌠📕📚

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以前、
すでに書きましたが、
帰化人は
差別的な用語だとか、
渡来人が正しいとかの意見は、
学問的には
今では少数派になりつつあります。
また、
「彼らのした仕事は日本人としてした仕事である」(関晃)
と言われるように、
帰化人とは
《日本人になった》人たちのことでした。
また、律令制において、
帰化人は日本人と同様に、
戸籍に掲載され、
田地を支給され、
権利や義務の主体となりました。
これは、
征服民を自由民として
市民権を与えた場合があったことを類推させますが、
日本では、
帰化人はそうした自由民という以上に
日本人そのものになったといえます。
また、同時代の唐帝国では、
多くの異民族を受け入れたが、
市民権の観念はなく、
持続的な絆を持たなかった。
では、ローマは
なぜ最強国になったのか?
イェール大教授の国際経済学
エイミー・チュアによれば、
国家のもつ「寛容さ」が
重要なカギであり、
近代日本も、
台湾では驚くほど成功した。
もし他地域でも
同政策を展開したならば、
日本はアジアに君臨したかもしれない。
「そう、彼らに忠誠心を奮い起こし、……全力を発揮させることができるのは『寛容さ』だけなのである。」(チュア『最強国の条件』)

そうなると、
唐はもちろんのこと、
ローマ帝国の水準を超え、
大東亜共栄圏の野望をも実現させるほどの「持続的な絆」を作り上げたのが、
帰化人以来の日本の伝統的な同化政策であった
と考えられます。
そういえば、
かつて評論家の葦津珍彦(あしづうずひこ)は、
「労働鎖国」、外国人労働者反対が保守派の間で強く叫ばれた時に、
ただひとりだけ、
日本の伝統的な同化の力、
帰化人や近代アジアでの同化政策の成功を指摘しながら、
外国人労働者受け入れに賛成したことが
思い出されます。
そうした、
帰化人を自由民以上の存在にした古代の戸籍制度とは、
最終的には、
戸籍は天皇の御覧や天皇御璽の押印がなされるような
重要行事でした。
つまり、帰化人は、
天皇の直接的な権威に基づいて《日本人になった》のであり、
そうした天皇の直接的権威による制度的な伝統によって、
日本では
世界史的に見ても驚くべき持続的な絆をつくりあげていた
ことになります。
そう考えると、
現在のいわゆる
「象徴的行為」もまた、
我々日本人が想像する以上に、
持続的な絆、寛容さ、
忠誠心、自由や市民権の観念の
根底をつくりあげるほどの
秘められた実力を有していることになる、
と考えられるのではないでしょうか。
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