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「父祖の遺風、香気」の寛容さ


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歴史のことば劇場⑭


「父祖の遺風」「香気」としての寛容さ

 

江戸時代、日本で初めて合理的な歴史学を打ち出した新井白石は、

自叙伝『折たく柴の記』において、

先祖や父、自らの幼年のことなどを

もっぱら聞き伝えや記憶によって書きました。

そこでは

祖父母の剛毅さや家風なども

誇らしげに語っています。

それらは正確な事実ではないかもしれない。

けれども、

これが後年の彼に人生への自信を与え、

発奮の源泉になったことには

大きな意味がありました坂本太郎

古代ローマ帝国の背骨をつくったのも、

キケロによれば

「父祖の遺風」でした。

「ローマは古来の慣習と人によって成り立つ」(同)

「ローマ人は最も困難な時に最強となる」(アッピウス・クラウディス)

父祖の遺風を守り磨き上げることが、

世の掟であるばかりか、智恵や技術であり、

生き方そのものでした本村凌二

この思想は、

新渡戸稲造『武士道』の主張にも近いとされ、

新渡戸は「武人の光明と栄光は、廃墟を越えて永遠に生きてゆく…

桜の花のごとく、四方(よも)の風に散りたる後もなお

その香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう」

と結びました。

つまり、思い出や記憶が、

そして父祖の遺風や香気が、

人々に生きる自信を与え、人生の骨格を形づくり、

現在を支える力となった。

また、ローマが「最強国」となる理由の一つにも、

父祖の遺風を伝えようとする熱気がありました。

そして、最強国になるには、国際経済学者エイミー・チュア(イェール大学教授)によれば、

「寛容さ」

が重要なカギだったといいます。

じっさい、征服された異民族も、

ローマ文化に影響され、

いつしかローマ風の衣をまとい、

ラテン語を話し、

自由民には市民権が与えられた。

そうした「文化と自由民」という「絆」によって

驚くべき持続力を見せたローマとは違って、

唐帝国は、

多くの民族を受け入れたものの、

市民権の観念はなく、

持続的な絆を持たなかった。

英国の歴史も、

そうしたローマ的な起源を持ち(G.K.チェスタトン

ユダヤ教徒スコットランド人も活躍し、近代化を起こしたが、

しかし植民地支配では、人種の壁に阻まれた。

いわゆる大英帝国の衰退とは、

伝統的な寛容さが失われる歴史であり、

けれども、戦前期の日本は、

台湾統治の同化政策では、驚くほど成功した。

チュアによれば、

他地域でも同様の政策を展開したならば、

日本はアジアに君臨したかもしれない。

台湾人は自由民という以上に

日本人そのものだった。

「そう、彼らの忠誠心を奮い起こし…全力を発揮させることができるのは『寛容さ』だけなのである」(チュア)

近時、

大国の「不寛容」を批判する論調があります。

しかしそのマスコミも

「寛容」が一体どこから来るのかを語りません。

けれども、

あらゆる社会集団をまとめる

寛容の「絆」とは、

父祖の遺風や香気がもたらす「一体化」の産物であったと考えられ、

この気風を磨き上げる熱意を持つことこそが「最強国の条件」でした。

歴史的に見れば、

大国が本来の意味で、より伝統的である時が、

世界に対しては、寛容の秩序を、

個人に対しては、共に生きる自信、自由、忠誠心を与えるような

「熟練した事業」(T.S.エリオット)が展開される「大いなる時代」となる

と考えられるようです。

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