doi_iku’s blog

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天皇の意思にもとづく「再生と継続」の祭儀


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元号は「令和」に決まりましたが、
かつて
昭和も終わりの近づいた頃
(つまり昭和天皇の重病が連日報じられた頃)、
「私たちフランス人は、神を殺し、王を殺した…」
と、精神分析家フェリックス・ガタリは、語りました。
「そして皇帝を追放し…
共産主義の神を殺し、
実存主義の神をも殺した。
その結果、我々の国は、
ご覧の通り解体の一途をたどっている…
それに引換(ひきか)え、
日本人はどうでしょう…
皇居前に集う心理を、
個人の病理から説明はできない…
これはおそらく一つの祭儀なのです。
日本人にとってこの上なく深い意味を含んだ、
厳粛な祭儀である…
終焉が再生を喚(よ)び起す大切な祭儀―
それに日本人は参加しつつ、
いま再生しようとしている……」(江藤淳『言葉と沈黙』)

神を殺し、王を殺し、
解体に向ったというフランスに対して、
ガタリによれば、
日本では
「再生と継続」の祭儀が
「この上もなく深い意義」をもって
厳粛に行われました。
そして今、
もう一つの形の「祭儀」が準備されていますが、
周知のように
「譲位」の語は廃され、
憲法上、天皇は政治的権能を持たない、
天皇の意思は認められない等の理由によって
「退位」として行われます。

けれども、
先日の御在位三十年式典でも、
「…天皇像を模索する道は果てしなく遠く…」
「次の時代、更に次の時代と、象徴のあるべき姿を補い続け…」
等のお言葉があり、
かつて東日本大震災の後には、
異例のビデオメッセージもありました。

かつて
めくら判を押すなどと天皇を評したのは、
憲法成立理論の「八月革命説」で有名な宮沢俊義ですが、
「革命」とはいっても、
宮沢によればそれは
終戦時のポツダム宣言の受諾におけるバーンズ回答、
すなわち、天皇主権の「国体」が国民主権へと変革した瞬間に、
憲法上の革命」が生じたとする学説でした。
しかしながら、現実には、
バーンズ回答の受け入れは
「人民の自由意思によつて決めて貰つて少しも差支(さしつか)へない」と述べた、
国民に対する昭和天皇
「絶対の御信頼になつて居る御態度」(木戸幸一関係文書)によって
承認に向かいました。
つまり、
君主主権から国民主権の転換であれ、
革命であれ、国体の変革であれ、
バーンズ回答の承認を論拠とする八月革命説の論理からすれば、
天皇の決然たる意思がそれを可能にしたのであり、
天皇の意思こそが戦後の始点にあった、
しかも
「昭和」という年号の時代も
立憲君主を戦前・戦後を超えて自認された
昭和天皇の身命とともに終焉し、
そして「平成」もまた
天皇の御意思に従って時代の幕を閉じ、
いま新時代を迎えました。

昭和21.22年に
宮沢の革命説を批判した尾高朝雄は、
宮沢の言う君主主権から国民主権への主権論などは、
古めかしい偏狭な理論でしかなく、
法の根幹たるノモス(道徳的規範)の至高性は、
主権を制約すると説きました。
また、
主権や憲法制定権力をも拘束する非明示的で、
超実定的な根本規範は
一般的に想定されています(芦部信喜・清宮四郎ら)。
さらにいわゆる主権論とは
「絶対主義」の概念であり、
立憲主義や法の支配とは正反対の
「退歩的もしくは野蛮的社会の手段」にすぎない、
いや本当は
「君主も人民さえ主権者ではない、神のみが主権者である」(ジャック・マリタン)
といわれます。
したがって、
憲法の個々の条文や
主権論や革命説に従って
「象徴のあるべき姿」を探し求めるのは
立憲主義や法の支配の立場からすれば
論理的に相当な無理がある
といえます。
また、
ガタリが主張したような、
フランスや西欧が陥った「解体」ではなく
「再生と継続」をもたらした
日本の天皇による「祭儀」とは、
もはや
個人的・政治的意思というより、
むしろ「ノモスに従った大いなる意思」と考えられ、
今回の皇位継承
その実態は
「大いなる意思」による譲位であり、
超実定的で、
あるいは法の支配的な、
憲法制定権力をも拘束するノモスの規範性が、
天皇の意思にしたがって立ち現れた事例
と考えるのが
適当なのではないでしょうか。
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