歴史のことば劇場➋
下からの繁栄、貧困の解消
土井郁磨(亜細亜大学非常勤講師)
いまや日本の人口減少が嘆かれない日はなく、
出生率の低迷が連日のように
話題になります。
しかし、
出生率は、世界中で減少しています。
一九六〇年より出生率が上がった国は皆無で、
開発途上国で半分以下になり、
国連の推計では、
世界人口は二〇七五年の九二億をピークに減少が始まる
といいます(Ⅿ・リドレー『繁栄』)。
かつて十八世紀末、
マルサスは、食糧生産は線形関数的にしか増えないのに、
人口は指数関数的に急増することに愕然としました。
指数関数が1を大きく下回った場合、
0.001が0.002、0.004、0.008と増加しても
曲線は1を超えないから人間には水平な線にしか見えない。
ところが、
これを繰り返せば、
ある時点で曲線が生じて急上昇し100を超える。
この人工爆発に対して食糧生産は絶対的に不足する…
しかし、出生率急減の現在、
話は逆転します。
ここ三十年、
途上国の貧困層の消費は世界の二倍以上の率で増加し、
絶対的貧困は18%未満まで下がった。
この減少率が続けば
二〇三五年にはゼロになる。
それどころか
ムーアの法則(二年毎(ごと)に情報処理能力が倍増)に従って、
AI等の技術革新から
人口ではなく
世界の豊かさが指数関数的に増大する
とも予想される(P・H・ディアマンディスら『楽観主義者の未来予測』)。
思えば、日本の産業革命期(明治中・後期)の工業生産の九割以上は、
大工場ではなく、
家内工業や在来産業によるもので(中村隆英)、
戦後のトヨタ、日立、松下、本田も、大銀行や財閥とは縁の遠い新規参入者であり、
民間の草の根の対応力や多様性が、高度成長には決定的に重要だった(香西泰)。
近年、米国カリフォルニアでも、
成功企業の三分の一はアジア系の起業であり、
いわゆる発展途上国的世界が、
既存の事業を脅(おびや)かす技術開発を生み出すのに適している
と言われます(楽観主義―)。
下からの近代化、
草の根の多様性から、
指数関数的な高度成長はもたらされるようですが、
文久元年(一八六一)、
孝明天皇は、金五十枚を細民救済にあてようとし、
前年の和宮様御降嫁の際も
「真実之處賑恤(しんじゅつ)之意」を幕府に求めました(孝明天皇紀)。
また、明治天皇は、
五箇条御誓文を伝える御宸翰で、
「天下億兆一人も其の處を得ざる時は皆/朕が罪なれば…」
との決意を宣明しており、
窮民救恤の詔(明治二)では、
宮廷費七万五千石のうち、じつに一万二千石を充てた。
当時の新聞は、御宸翰は掲載しても、御誓文を伝えるものは殆ど無く(尾佐竹猛)、
細民救済、「天下億兆…其の處を得」ることが、天皇の御意向とイメージされた。
「(明治の)日本に比較したら、どんな西欧の進歩も、まどろっこしく、試験的だ」(H・G・ウェルズ)。
未来の根は、過去にある。
ハイエクによれば、
「下層階級の地位の向上がいったん加速し始めると、富裕層への迎合は大きな利益の源泉とはならず、大衆の要求に向けられた努力に地位を譲る。…いずれその格差を消し去る傾向にある」。
ハイエクのいう
「下層向上の傾向」とは、
日本では、維新における皇室の言動と共に始まり、
後の指数関数的な驚異の発展の起点となった
と考えられるようです。
『明日への選択』平成30年3月号