歴史のことば劇場43
個人の私権が思いのほか強く認められる日本社会の実情が浮き彫りになったようですが、
いわゆる近代的な自由や権利は、起源的には、次の二つの思考の流れから派生したと説かれます。
第一は、自然権的な思想で、個人には国家から与えられるのでなく、生まれながらの自然的権利があり、天賦人権を有していると考えます。
第二は、「国民の権利」として自由や権利が憲法で創設的に保障されたとの考え方で、英国のマグナカルタ、権利請願、権利章典などは、
古来の歴史的な権利・自由の宣言であり、人権というより「国民権」とよばれます。
例えば、米国独立期の人権宣言も「イギリスの伝統的な諸自由を自然法的に基礎づけ確認したもの」で、
フランス人権宣言とは重要な違いがあり(芦部信喜)、合衆国憲法も実際は「歴史的な権利」を確認したものでした。
たしかにマッカーサー草案(昭和21年2月12日)が権利の主体について「すべての自然人は…」(13条)と記したのを、
「すべて国民は」に改めたのは日本政府の修正案(同3月2日)に起因します(高柳賢三ら)。
また、同草案の12条「日本の封建的制度は、廃止さるべきである。すべての日本人は、人間であるが故に個人として尊重される…」、同16条「外国人は、法の平等な保護を受ける」、同17条「奴隷、農奴」などの、
とくに草案第28条「土地及び一切の天然資源に対する終局的権原は…国に存する」、土地や資源の収用には「正当な補償を支払い…」の文言には、
日本側は、土地・資源国有化の過激案と解し、松本丞治国務相は「これを削除したことで日本経済の革命的変革を避けえた」と述べました(同)。
帝国憲法の部分修正のみならず英国の憲法慣習に近かったといわれます。
それゆえ、上記のように条文を修正させた日本側は、自然権ではなく、旧憲法以来の法規範や英米法に近い見地から「国民」の権利を守ることで、
近代的自由の保障を目ざしたと考えられます。