歴史のことば劇場31
風呂敷は、手軽で古風なエコというばかりでなく、本来は、
着物や帯の色柄と調和し、服装を引き立たせる役割もあり、
意外に現代人のセンスに、風呂敷は合うのかもしれません。
欧米では、リンゴなどの皮をむく食品の包装は不要と考えるようですが、
日本では一つ一つ丁寧にラップで包み、箱に詰め、さらに熨斗紙や風呂敷などで包みます。
「つつむ」という語は「つつましさ」に通じ、相手への気配りを示すといいます(額田巌)。
公家社会では、古来、手紙を召使に持たせるのに、
引合との恋愛に通じる名の和紙に文をまとめ、
香を焚きしめ、上包の紙の端を細かく切って巻き封に〆をし、
竹や木の枝に結び、吊しながら相手に届けさせました(消息使)。
日本では「包む」ことで「思い」や「気持ち」を丁寧に送り届けており、
かたや、西欧のパッケージは、肉や野菜の保存から来ており、
瓶詰、缶詰のように「詰める」意識が強いのに対し、
日本の熨斗紙などには、ケガレを除き、祝意を込める心理がうかがえます。
つまり、真白い紙に包んで、贈与にまつわる現実的な意味をとり去り、
好意や厚意だけをさわやかに送ろうとしている(泉真也)。
社会学者マルセル・モースの『贈与論』によれば、
未開・古代社会では、単に物を贈るのではなく、自分の「魂」や「霊的な本質」を届けており、
贈与には「返礼と応答の義務」あるいは「互酬」の慣行や慣例が生じた。
この「贈与と互酬」の呪術的なシステムは、単なる商品経済の秩序を超え、
また法や道徳、宗教などの範疇にも特定されない「全体的・社会的事象」であったといいます。
このモースの理論に従えば、
古来日本では、鄭重に「包む」ことで、自らの魂や霊性を内包させ、
それを芸術的な作法にまで磨き上げ(丸谷才一)、法や道徳、宗教をも超える「全体的・社会的」な秩序をつくり上げたのではなかったか。
「包む」という行為には、見えなくすることで、かえってその存在をつよく感じさせ、
「全体的・社会的」で、生命的な秩序をよりあらわにする作用があったといえるようです。
天皇は自分名義の財産を全部差し出すとされ、
それが幣原外相(※首相の誤)から司令官に伝えられると、
米国は天皇の財産をもらう意思はない、食糧の件は大統領に依頼するとの返事であった
と述べたそうです。
しかしながら、実際の史料上では、
御物や宝物の(国民などに対する)供出は「司令官は皇室の人気取り策として反対」したのであり(『昭和天皇実録』20年11月11日)、
同月には皇室財産凍結指令も出ています。
むしろ天皇の真情に対する、国民による「応答と返礼」が、
翌年2月からの全国御巡幸での圧倒的な天皇支持の声となったと言えそうです。
かの「魂」の介在する「全体的・社会的」で、生命的な古来の秩序は、
敗戦をへてもなお天皇と国民の間で維持され、それはGHQをも驚嘆させたのではないか。
要するに「魂の贈与」の秩序とは、生命的な「贈与と互酬」の秩序のことであり、
その静かで、聖なる「応酬」の感覚が、天皇の全国御巡幸とともに日本社会を縦断し、
「全体的・社会的事象」としての国民統合という戦後の一体感をもたらした、と考えられるのではないでしょうか。