先日、志村けん氏が
入院先で新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなった際、
親族の誰ひとり臨終を看取れず、
火葬なども防護服の職員が行ったとされ、
遺骨だけが渡された
との報道がありました。
やむを得ない処置とはいえ、
現代人の「死」が、かくも衛生的、
物質的な管理下に置かれるのは、
歴史学においては、
20世紀に始まるといわれます。
フランス・アナール学派として知られる
F・アリエスの研究によると、
西欧中世の人は、自分の死がよくわかっていた、
死は自分のもの、親しいものであり、
人々は自ら死を予期し、むしろ準備していたそうです。
じっさい『ロランの歌』の一節には
「死が自分をすっかりつかまえ、頭から心臓へと降りていくのを感じる」とあり、
これらは、現今において
コロナに感染したかどうかも判らずに急死するのと比べると、大きな違いがありますが、
要するに、人はかつて自らの死を自覚的にとらえていた、
その意味では、死の主体は、
あくまで死にゆく個人の側にあった。
それが、現代では
病院で許されるのは死なないふりをする患者であり、
自分から死を迎える死者は許されない、
ただ入院中のある一日が終わるように死んでくれる患者だけが許される。
「われわれは死なねばならないことを忘れていた」(木村尚三郎)
と言われるように、
死の主導権は、病院のシステムやウイルスや社会衛生の側に移ってしまった、
一般的に言って、
個人の自我や権利とは、
古い社会や家などの共同体に反逆し、
近代に生まれたとされますが、
しかし、「死」においてだけは、
また、近年では、ピンピンころり、
またじっさい、
世はとかく見込み違いばかり、
「命長ければ辱(はじ)多し」(吉田兼好)と、大体は生き恥をさらしてしまうようです。
また死に損なえば今以上の苦しみも加わる、それが恐ろしいと言って、
小刀や千枚通しを眺めて煩悶し、躊躇したといいます(新村拓)。
けれども、G・K・チェスタトンによれば、
自殺者とは、自分以外の何物にも関心を抱かず、これ以上もう何も見たくないと思う人のことである、
その反対に、
殉教者は、どれほど世を捨てようと究極において生とのきずなを認めていた。
彼の魂は、自分の外部に向けられ、
彼が死ぬのは何物かを生かすためであり、
むしろ自分以外の何物かをあまりに強く思う結果、自己の生命のことなど忘れた人のことだ
と述べました。
「魂になってもなお生涯の地に留まるという想像は、自分も日本人であるゆえか、私には至極楽しく感じられる…
できるものならば、いつまでもこの国にいたい…
一つの文化のもう少し美しく開展し、
一つの学問のもう少し世の中に寄与するようになることを、どこかのささやかな丘の上からでも見守っていたい」と述べました。
そうした意味では、
日本の死者は、
おそらく「自分以外の何物にも関心を抱かない」のではなく、
死は「何物かを生かすため」であり、
魂は「その外部」にむかい、
むしろ自分以外をあまりに強く思う結果、
死の苦悶や悲哀をも忘れ、
我々をずっと見守っている、
といえるようです。
つまり、霊魂は
病院から火葬場への直行では潰えず、
死者とのきずなの感覚とともに、
死の尊厳や個人の意思、主体性は守られ、
永遠に受け継がれていく
と想像されるのではないか。
また、霊魂に見守れている感覚が、個人の死の尊厳や主体性を今なお守ってきた。
日本社会は存続してきた。
死者との聖なる感覚により、日常の世俗的な生活を正し、自身を引き上げ、
安心させ、安定させ、日々を高めてきたというのが、