歴史のことば劇場⑬
《日本人》になった帰化人
外国人労働者の話題がよく世間を騒がせますが、
日本史上、最も高い比率で外国人が入ったであろう時代は、
古代のようです。
平安初期の『新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)』では、
中央の氏族を
「皇別(こうべつ)」
「神別(しんべつ)」という
皇室や神々を出自とする氏族と、
「蕃別(ばんべつ)」という
帰化人系の氏族の
三つに大別しますが、
その全一〇六五氏のうち、
蕃別は三二六氏に上り、
約三割を占めました(関晃)。
よく聞くような、
帰化人という語は、そもそも「差別語や侮蔑語」であり、
歴史的には「渡来人が正しい、侮辱的でない」とする考えは、
明らかな勘違いです。
「帰化」とは、
近代以後は、
外国人が日本国籍を取得することを意味し、
古代では、
自国中心主義や差別主義から出た言葉ですが、
しかし日本では、
当時の東アジアの慣例に従って
この語を用いたにすぎない(日本史大事典)。
また、中国の漢字の「蕃(ばん)」は、
異国を未開の草の生えた地として貶める語なのに、
日本書紀は、
中国や朝鮮の出身を示す「諸蕃」を
「となりのくに」と訓(よ)み、
隣国との平等的な意味に読み換えた(日本古典文学大系)。
さらに、日本人と同じく
秦氏(はたうじ)らは
「投化者(おのずからもうけるひと)(自らの意志で来た者)」と呼ばれ、
田地を支給し、
十年間課役を免除する規定もあり、
郡司や篤農家となって
地域の発展に貢献した者も少なくなかった。
このため、
「現在では『渡来人』という新語を用いることが行われているが、
日本に住みついて日本人の一部となった者という意味が含まれなくなるので、
あまり適切な語とはいえない」(国史大辞典)
では「なぜ『帰化人』が使えないのかわからないが、論拠の一つは…
近代の満鮮の植民地支配や韓国併合の根拠に利用されたことらしい」(大津透)
とされており、今では最新の『岩波講座日本歴史』も、
とのタイトルの論文を載せるように、
むしろ「渡来人」が歴史用語として不正確であり、
学問的に見れば特定のイデオロギー的な言説ではと疑われているようです。
律令制では、
人民は戸籍編入などによって
「公民(おおみたから)」(庶民のほか貴族も含む語)としての
権利や義務の主体となり、
公民という地位は、
いわば天皇の権威によって直接的に確認される仕組みであり、
帰化人も同じ手続きにより、
地位や権利が最終的に保証されたと考えられます。
つまり、
「公民」としての制度的認定や権利保証とともに、
帰化人は日本人となった、
日本社会に深く同化し、
我々の先祖となり、
社会的な発展や多様な文化形成がもたらされた。
それを確認することは、
天皇皇后両陛下の外国人学習施設へのご訪問などを俟つまでもなく、
民主国家としての歴史的な責任
といえるのではないでしょうか。