そこで腰を抜かさんばかりに日本の入浴文化のレベルの高さや奥深さに
驚かされるという話です。
誇り高きローマ人・
ルシウスのプライドをズタズタに傷つけたのは、
日本では笑えるほどありきたりで、安っぽいものばかりでした。
例えば、銭湯の真っ黄色のプラスチック製の桶。
「何という美しい黄色…」。
1970年代の映画スターウォーズのポスターを見れば、
「この構図の完璧さは何だ!!」。
フルーツ牛乳を飲めば、
「美味いっ! この世のものなのか」。
シャンプーハット、シャワーは、
じつに「便利だ」。
地方にはなんと「サル専用の温泉」まである……
何の変哲もない、現代日本人にはありふれたものが、
ルシウスには大いなる驚異の対象であり、
「この表情に何の威厳もない平たい顔族(=日本人)には、底知れぬ知恵と技術が…」
とまで言われると、
日本人なら誰だって
自国文化の中に秘められた実力に気づかされると思います。
本書はすでに数々の賞を受賞しており、
傑作との呼び声も高いのですが、
ただ一点、気になるのは、
日本の歴史上の温泉や風呂については、
なぜか殆ど触れられていないことです。
▼西欧の「不潔と悪臭」、日本の「神事と民衆の賑わい」
たしかに、2世紀頃のローマ帝国には、公営の大浴場が11カ所、
私営の小規模の浴場になると
約一千ヵ所もあったとされ、
貴族や市民だけでなく奴隷でも安い料金で入浴できたといわれます。
それに比べて、日本の銭湯は、
鎌倉時代後期に始まるとされ、
一般的に広まるのは江戸時代の十七世紀以後まで時期が下るようです(武田勝蔵『風呂と湯の話』)。
けれども、西欧では、
十六世紀フランスで梅毒が流行したことから、
公衆浴場は売春や病気の温床であるとして閉鎖されていきます。
さらに、裸体をさらすことを嫌う、中世的な西欧社会の風習も影響して、
病気になっても、侍従医の言によれば、
「生涯二度めにして最期となる入浴を処方するが、これも実現できずに終わっている」、
「王や王妃はいちばん貧しい小作農と同じくらいめったに風呂にはいらなかった」(K・アシェンバーグ『図説不潔の歴史』)といわれます。
当時のフランスでは、
人生で「産湯(うぶゆ)と葬式でしか湯に浸からない」といった
冗談のような生活が、
ごく普通であったようです。
これに対し、日本の浴場の最古の記録は、
いわゆる神話伝承の時代にまでさかのぼり、
当地の湯は、
神寿詞(かむよごと)(新年の賀詞)を申し上げるため、
朝廷に参上する際に、禊(みそぎ)を行う場である
「神の湯」と称されていた。
出雲国風土記(新編日本古典文学全集本の現代語訳)によれば、
「……温泉は川のほとり(玉湯川)に湧きだし、海と陸との境にある。
男も女も、老いも若きも、子供も、つらなって毎日集まり、そこでは市(いち)(物売りの集まる場)が立つほどである。
また彼らは歌い乱れて酒宴をひらく。
その出湯(いでゆ)に一度入ると、たちまち端正な美しい体になり、
二度入ればすべての病がすっかり治ってしまう。
大昔から今にいたるまで、効き目がなかったことはない。
だから、人々はこの湯を「神の湯」と呼んでいる……」
とあるように、
もし仮に、ルシウスが古代の出雲にタイムスリップしたとしても、
「私が何をしても超えられない恐るべき種族…」との感慨を強くした(?)かもしれません。
このように、
日本の温泉文化には、
古来の神話の時代から今日まで、
本質的にそれほど変わっていないという、
驚くべき継続性や先進性があるといえます。
また、一般民衆が酒や歌、踊りを毎日楽しみ、
商業も栄え、健康や治療や美容の効能が高かった
などというのは、
もちろん現代日本の温泉に比べれば、物質的にも技術的にも低水準でしょうが、
しかし基本的な温泉文化のあり方としては、
古代も、現代も、
さほど大きな違いがあったとは言えないようです。
しかも、古代ローマの浴場は、
もはや遺跡や資料の上だけでしか残っていない、
日本ではいぜんとして
「生きた文化」であり、「実際上の生活習慣」として、
太古の昔よりずっと今まで続いている
という特徴があります。