doi_iku’s blog

LINEブログから引っ越しました。

地獄と極楽に見る平等性🌈💀

▼仏にも、畜生にも、地獄がある

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お盆や墓参りのシーズンですが、

いまどきの子供に

「悪いことをしたら地獄に堕ちるよ」とか

「ウソをつくと閻魔に舌を抜かれるよ」

と小言の一つも言ったところで、

何かとくに効果があるどころか、

「何言ってんの、

地獄なんかないよ」

とバカにされるのが

オチなのだそうです。

そうか地獄はもうないのか、

日本人の心から全部消えたのか、

というとそうでもないようで、

数年前、まさかのベストセラーとなった

蟹工船』(小林多喜二昭和4年プロレタリア文学)を見ていると、

冒頭、

「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」

という書き出しになっていました。

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どうやら現代では、

「地獄」に堕ちるのは、自分の罪悪や怠慢のせいでなくて、

社会が悪い、企業や政治が悪い、

格差社会とかグローバル経済が悪い、

ということで

「地獄行き」になる

と考えられているようです。

けれども、

自分は何も悪くない、

すべては社会のせいであり、

周りが悪いからだ、というのは、

日本人の伝統的な考え方とはいえないようです。

「地獄」の場景が

日本の歴史で本格的に現れるのは

日本霊異記』(平安初期)からといわれますが、

同書によれば、

鳥の卵を獲ることを業(なりわい)とする罪深い男が、

兵士(じつは地獄の官吏)に連れられて麦畑に行くと、

そこは炭火の畑であり、

男は大やけどして死にます。

その炭火の畑は

「山の中」にあり、

「誠に知る。地獄は現在(実在)することを。」

とあります。

つまり、

古代日本の地獄は「山の中」に実在していました。

民俗学者柳田国男(やなぎたくにお)は、

死者は村から離れた「山のふもと」に葬られて、

その霊魂は山の高所にとどまり、

ずっと子孫を見守っている

と述べました(『先祖の話』)。

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また、柳田によると、

死者の霊魂は、

本人や一族の罪業により

地獄行きとなるのであり、

子孫が善行を積めば、

清らかな霊場に送られる。

しかし、供養を怠れば、

先祖は地獄に行き、

恨んで災厄をもたらす。

これが日本人の平均的な霊魂観や他界観と考えられ(五来重『日本人の地獄と極楽』)、

そうした日本人の地獄の観念には、現世と異なる祖先たちの霊の次元から日常を見直して、

世俗生活を聖なる次元から正そうとする観点

があったと考えられます

KIMG0228.JPGまた、日本霊異記には、
行基(ぎょうき)が大僧正に出世したのを、智光(ちこう)という僧が妬んだという話もあり、
「(聖武天皇はなぜ自分をえらばず、行基を登用したのか」と悪口をいうと、
智光はたちまち痢病になって死んでしまう。
そこに閻魔の使いがやって来て、
西の方にりっぱな楼閣があるが、
あれは行基が住む御殿である、
だが、お前(智光)が行くのは北の方だといって、
だんだんと熱気が出てくる。
「そうだ、お前を煎るための熱だ」
として、鉄の火柱を抱かされ、
大やけどをする責苦が続きます。

ここから解ることは、
日本人にとって地獄と極楽とは、
あの世においても、
西に極楽があり、北に地獄があるように、
さほど距離が離れていないことです。
また智光は、この後、
改心して行基に帰依し、
地獄から救われます。
蜘蛛の糸』(芥川龍之介)のような話が成り立つのはこのためで、
これがキリスト教では、
ダンテの『神曲』(14世紀)のように、いったん地獄に堕ちると、
永久に救われないのとは、
ひじょうに対照的といえます。

仏教では、
世界を十に分けて「十界」とよびます(仏・菩薩・緑覚(えんがく)・声聞(しょうもん)・天・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄)。
最上界が仏の世界で、
最下層が地獄です。
また法華経では
「一つの界は、その中に十界を具えている」とも説きます。

つまり、仏にも地獄があり、
畜生にも仏界がある。
当然、人間界にもあり、
地獄や仏は自分の心の中にも存在する(四季社編『地獄をどう説くか』)。

こうなると、

その境遇を仏とするのか、地獄とするのかは、

じつは心の問題であり、

本人の心がけ次第となります。

俗に「地獄に仏」との救済ばかりではなく

「仏も地獄に堕ちる」との堕地獄もあるのです。

仏であれ畜生であれ、

すべての人間に起きる。

そうした徹底した平等主義がここに見てとれます。

また、地獄と極楽との間には、

絶対の懸隔はなかった。

むしろ、誰でも救われるし、

誰でも地獄に堕ちる。

救済か、堕地獄かは、

自分の反省や努力、

あるいは仏の慈悲による変化の余地が大きいことになり、

しかも最終的には、

本人の心がけ次第という

自己責任の論理もあったことになる。

地獄の観念とは、

すべてを他者や周りのせいとするよりも、

むしろ自分自身の行いを反省しようとする、

日本人が一般的に持っている気質や責任感に通じていると考えられます。


▼三途の川、賽の河原も、日本の習俗

地獄や極楽というと、

仏教の思想や教えと考えがちですが、じつは、

日本人の死生観や霊魂観の表れとも見るべきです。

三途の川や賽(さい)の河原、

死人の衣を剥(は)ぐ奪衣婆(だつえば)などは、

仏教の本来の経典の教えではなく、日本で作られた偽経(ぎきょう)の『地蔵十王経』(平安末期)で説かれたものでした。

また、地獄は「黄泉(よみ)」とも呼ばれるように、

神話や伝承の世界を色濃く引きついでいます。

善光寺(長野県)の由来を説いた『善光寺縁起』(南北朝期)には、

開祖・本田善光(よしみつ)の長男善佐(よしすけ)が、黄泉の地獄に堕ちた話が出ています。

善佐は、善光寺如来の助けを受けて救われますが、

しかしその「中有(ちゅうう)」の道で、

美しい女人に会います。

これが大化改新で有名な皇極天皇であり、

美しい女帝は鬼に襲われ、

地獄の鳥につつかれ、

剣の山に身を刺され、火に焼かれていた。

善佐は、女帝の代わりに

自分が地獄に止まるので、救ってほしいと願うと、

観世音菩薩が現れて、

二人の身代わりとなって、

善佐は女帝と一緒に娑婆(現世)に帰れることになった。

このとき、閻魔は、

「仏、善佐に代り、善佐、妃に代る。我、罪人に代り、菩提心を発す」

との漢文の詩句を読み上げ、

善佐は地獄から救われた証拠として、閻魔から「お手判(てはん)」をもらう。

この「お手判伝説」から善光寺の庶民信仰は始まったといわれ、

これが全国へと広がります。

「これ(お手判)は

のちに「善光寺御判印文」となって阿弥陀如来の「ご印文」とも説かれているが、

これがあれば、

地獄に堕ちても閻魔庁に見せれば極楽へ送られるという信仰になった。

したがって人々は生前善光寺参りをして

「お手判」ないし「御印文」をうけ、

死んだときに棺に入れてもらう習俗ができた。

いま「送り」といって念仏紙や阿字(あじ)(梵字)を入れるのは、

善光寺の極楽パスポートの代用である。

もしこの「お手判」が、経典に本説(ほんせつ)や証文(しょうもん)(証拠)がないから迷信だというとすれば、

日本仏教のほとんどの庶民信仰や葬式、追善、法事から納骨や永代経(えいだいきょう)まで迷信になってしまう。…」

(前掲五来)


民俗学者の指摘によれば、

地獄や極楽ばかりか、

葬式や法要の全体が、

仏教の本来の教義ではなくて、

日本の古い民間習俗によるものでした。

また、先祖を身近に感じて、

日常生活を正し、

自己犠牲的で、他人を責めず、

自分の努力不足を反省する考え方自体も、

特定の宗教思想というよりも、

庶民習俗の積み重ねの影響でした。さらに、

天皇であれ、僧であれ、俗人であれ、

貧富、身分の尊卑などに関係なく、平等に地獄に堕ちるし、

また仏の慈悲によって救われていた。

こうした、

地獄や祖霊の習俗から来る日本人の道徳性や平等性は、

いまや急速に失われつつあるともいえます。

しかし、

史書や史料を丁寧に読んでいけば、

そうした道徳性や平等性は

その中に確かに息づいています。

それは、あたかも先祖の霊魂のように、ひっそりと我々を見守り、

いつか我々を導いて救おうとしているかのようです。

歴史に学ぶとは、

この意味からいえば、

本来、祖先の霊魂とともに

その道徳性を受け継ぎ、そこに込められている力を

現代にまで取り戻すことを意味している

のかもしれません。

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