歴史のことば劇場⑦
▼笹川良一 母への愛と「国粋大衆」主義
「戸締り用心🎵火の用心🎶」
「一日一善‼」のテレビCMで有名だった老人が、
じつは仰ぎ見るべき巨人であると言論界に知られたのは、
笹川は、敗戦後の昭和20年12月、
巣鴨プリズンへの入獄を自ら志願し、
銀座の事務所前で「同志に遺(のこ)す惜別の言葉」との演説を行い、
軍艦マーチの演奏とともに、ド派手に入獄した。
戦犯嫌疑などは考えられない。彼は夙に(同9月20日)、
笹川によれば、
平和に対する罪や開戦責任が、日本だけにあるはずはない。
長らく植民地支配を行ってきた連合国にも当然責任があり、
しかも中立条約を破ったソ連が裁判の判事を務めるなどは論外である。
「予は只(ただ)の一度も、侵略戦争と云(いわ)れても認めず、必ず反駁す」
そして彼は、
あえて逮捕されるため20数回の演説会を開き、
自らA級戦犯を望むと公言し、占領軍を挑発した。
笹川の入獄の目的は、
裁判経験のない重臣・高官に代って日本を弁護し、
天皇に対する戦争責任追及を阻止することにあった。
およそ想像し難い程の壮気であり(谷沢永一)、
巣鴨では、取調官から激しく殴られ、リンチを受けても屈せず、
また戦中期にはきびしく対立した東條英機を、獄中では激励し、
「東條さん…死ぬ命であるとすれば、一切の責任はあなたが引き受けなさい。大胆に真実を語ることだけが最後の勝利です」と語った。
そして東條は、
堂々「自衛」戦争の陳述を行い、「倖(さいわ)い陛下にご迷惑を及ぼさないですんだ…言うべきことは全部言った」、
さらには「悠久の 姿 尊(とうと)し 初の富士」
との自作の俳句を笹川に贈り、
この「富士」とは「笹川さん、あなたのこと」だと付言した。
また笹川は、入獄以来、他の戦犯や家族に、ラジオ、蓄音機、レコード、新聞の大量の差し入れ、
旅費などの細やかな支援までも行い、
釈放後も、戦犯釈放運動の中心となった。
全刑死者1068名の慰霊法要を、昭和46年まで241回、その後は日本船舶振興会ビルで年2回行った。
笹川の母テルは、
死去の直前には、長男の良一に、
自分の葬式は全員釈放まで出してはならぬと遺言した。
戦後の笹川による、
当時の世界最大のNGO活動だったといわれます。
笹川が唱えた
「世界は一家、人類は皆兄弟」というスローガンは、
明らかに戦前における「八紘一宇」主義の継承でした(佐藤)。
思うに、
笹川による戦前の「国粋大衆」主義とは、
母への愛、東京裁判、戦争犠牲者への慰霊をへて、
戦後の世界博愛主義との広範な実践活動へと向かい、
その本領は、じつは戦後民主主義・平等主義との時代にこそ、
むしろ真価を発揮し、最大かつ最良の展開を見せたように、私の眼には映ります。