「紫式部の物語を凌ぐ
長編小説は存在しない」――
一九二・三〇年代に、
源氏物語の全文を英訳した
アーサー・ウエイリーの言葉です(丸谷才一ら『ロンドンで本を読む』)。
ウェイリーは、
「ブルームズベリー・グループ」の一員でした。
また
イギリスの作家ブリチェットによれば、
当時の批評家たちは、
式部を日本のプルースト、
ジェーン・オースティンとまで
高く評価していたといいます。
さらに、
同時期の作家Ⅽ・P・スノーによれば、
彼の知る若い文学好きは、
たいてい源氏物語に魅惑されていた。彼らは、
源氏の翻訳とともに、
したがって、
彼らにとっては、
源氏物語を読むことは、
『失われた時を求めて』を読むことと同じく、
「感覚的に鋭い」、
「強烈な美的体験であった」
と回想しています。
源氏物語には、
いわゆる
二十世紀モダニズム文学とは、
「流行が歴史的なもののうちに含みうる詩的なものを、
流行の中から取り出す」こと、
「一時的なもの、うつろいやすいもの、偶発的なものから、
永遠的なもの、不変なものを抽出する」ことである
と言っています(同批評2)。
また、
「すべての現代的なものが、
いつか古典的なものとなる価値をほんとうに得ること―
つまり、歴史的で、
古典主義的であることが、
現代的であり、前衛的で、
永遠性を持つのである。
そうした「現代性」によって、
じっさい、紫式部は、
源氏物語よりも以前の
物語の典型である、
落魄した薄幸の姫君を
高貴な若君が見出し、愛することで、
「めでたし、めでたし」と落着するような、
いわば旧形式の物語を取り入れたように見えながら、
そのじつ、
恋愛や結婚が、
やがては無残な結果に至ること、
そして人生は、
複雑な真理や社会の境遇の
有為転変とともに、暗転し、
流転する―、
そうした人生の悲哀と宿命を、
美的に表現した
物語世界を描き上げていました。
日本の神話では、
神々や天皇が祭事のように
その地の女と聖婚し、
いわばその土地の
女の呪力や霊力を得ることで
国を統治していた。
そうした、
古代神話における
「色好み」の信仰に、
あたかも準拠するかのように、
源氏物語では、
それは、ちょうど、
神話や歴史の持つ
豊饒性や開放感を援用することで、
こうした点からも、
西欧の若き文学青年たちが、
源氏に熱中したのは、
感覚的に、というだけでなく、
文学的な手法として、
帝は、自分の子と疑わずに溺愛し、その子は後に冷泉帝となる。
読者は、
天皇が実は不義不倫の子という、
途方もないスキャンダルの相の下に、人生を観ることになる。
そして、
中年となった光源氏は、
今度は妻・女三の宮に裏切られ、
柏木が妻に産ませた子を
我が子として抱く運命に至る。
自らの行いと同じことを、
後の自分にされてしまう。
「かかる古事(ふること)の中に、
まろがやうに実法(じほう)なる痴者(しれもの)(律儀な愚者)の物語はありや」(蛍の巻)。
痴や愚にいたり、
自らの過去の行いの報いを受け、
悲しみ、憂い、妬み、苦悩する―。
このように、源氏物語は、
それ以前の
物語の形式を引き継ぎながらも、
じっさいには、
古来の物語にはまったく類例のない、
いや、今現在の文学においても
▼「新しさ」の伝統による文明
物語とは、
「良きも悪しきも、世に生きる人の、見ても見飽きることなく、聞くも何か心に余る有様を、
後の世に伝えたいと思い、
一つ一つに心に包みきれずに言いおいたのが始まりである」
(源氏物語、同巻、現代語訳)。
江戸時代に本居宣長が
「式部が源氏の物語をつくれる本意をまさしくのべたる」(全集4)
と評した箇所です。
ここの源氏の本文は、
じつは平安中期の『古今和歌集』の「仮名序」にある
「心に思うことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出だせる…」
との発想を明らかに受けています。
事実を記した歴史では、
決して表現できない、
現実にはありえない物語や登場人物によってしか表現できない
情念が存在する―。
そうした、
正史の権威を凌駕するほどに、
前衛的で、人間的である源氏物語の美的な世界は、
紫式部のこうした古典主義的で、
モダニズム文学的な手法から
生まれていたと考えられます。
「源氏見ざる歌詠みは遺恨(ゆいこん)の事なり」(六百番歌合)
と述べました。
王朝文学では、
新しい歌風や文学の確立には、
源氏物語の世界観は
必須のものとなっていた。
源氏の世界観にしたがって、
新しい文学を生み出すこと、
古典を利用して、
古典によって「新しさ」を生み出すといった、
そうした古典主義的な手法が、
その後の
日本文学の伝統となっていくのです。
近代国家は新聞と小説によって
「想像の共同体」となって創造された、
と述べました(『想像の共同体』)。
しかし、日本では、
近代以前に、
源氏などの王朝文学が
「古典(カノン)」として受け継がれていた(H・シラネら『創造された古典』)。
つまり、そうした古典(カノン)に従って
優れた「新しさ」を持つ文学が次々と生まれ出ることで、
国家と国民が文化的に統一されていたと考えられる。
すでに日本では、
古典主義的な文化による「共同体」的な秩序が存在し、
天皇や王朝が
文化的に「共同体」を創り上げていた。それは
近代文学的な「想像」でも「人工的」でも「人為的」でもない、
伝統的で、文化的、いわば「古典主義的な共同体」によって
創造されていたといえます。
また、江戸期の儒者安藤為章(ためあきら)は、
「もののまぎれ」(閨房の乱れ)を防ぐための
後世への諷諭(ふうゆ)(婉曲な説諭)と解釈しました。
これに対して、本居宣長は、
教訓的で、儒仏的な「もののまぎれ」論に対抗して
「もののあわれ」の情を知る文学の自律性を唱えました。
これらを受けて、
国学者荻原広道は、
「もののあわれ」の「あわれ」の「実(マコト)」を認めながらも、
密通の禁忌を犯した「報応(ムクイ)」を受けるべき「照応」という関係があると述べました。
つまり、近代文学が出現する以前に、
文学独自の構想や
創作上のリアリズムの存在を見出すといった、
源氏物語の後半部、
宇治十帖においては、
浮舟は、
自分の一周忌の法要の着物、
紅に桜の鮮やかな袿(うちぎ)を、
あたかも死後の世界から
自らの生涯を振り返るかのように
しみじみと眺める。
しかし、
源氏の子の薫はいぜん
浮舟に恋着するが、
浮舟の心は
もう遠く隔たっているー。
光源氏の子の薫は、
また、自立するだけでなく、
政治や歴史を、
その反対にむしろ客観視しながら、
新しい表現や着想を得ていく―。
そうした文学的な系譜が生まれていく徴候が、
源氏物語にはよく見てとれます。
「あらゆる脱出のうち
最もセンセイショナルなもの、
あらゆる反逆のうち
最もロマンティックなものは
文明にほかならぬ」(チェスタトン)。
源氏物語は、
政治や歴史を超えた、
文学の新たな位相や役割を見せていきますが、
古典主義的であることが、
同時に前衛的であるという意味で
「脱出」「反逆」であり、
またそれが普遍的であるという意味で、
「文明」の実相をよく伝えている
と考えられます。
新たな普遍的な地平を開いていく、
そうした「文明」の本来のあり方、
これが日本では、
平安宮廷における
一女性の才能の中に
凝縮されていました。
源氏はそうした「文明」が凝縮したものであり、
その美的世界は、
時代や階級を超え、
国家や民族をも超えて、
世界中に大きな影響や感銘を与えていった。
最も明らかに指し示している、
と考えられるようです。