doi_iku’s blog

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壁の文化と床の文化

歴史のことば劇場29                                  

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   新型コロナウィルスによる死亡率が、アジア諸国や日本はきわめて低率で、

なかでも日本は、ロックダウン(都市封鎖)も行わず、

外出制限に罰則もない「非常にゆるい対策」で感染を防止したといわれます。

西欧の都市は、通常、石造や煉瓦造の分厚い外壁に囲まれ、

いわば外界と内界とを遮断する「壁の建築」「囲みの文化」と表現できるとすれば、

日本の建築は、自然との連帯感や一体感を重視する「床の建築」「床の文化」と表現できる芦原義信

といいます。

また西欧では、

強固な外壁に連続して都市美を構成する「線の要素」が重視されるのに対して、

日本では、床が一段高くあり、土足で入れず、清潔な畳を敷き

内側に空間秩序としての上位性や聖域性を認める「場の要素」が重視されました。

さらに西欧では、

各都市を点と線で結ぶ国際的ネットワークを作りあげ、外界から自分を厳しく見る目が培われたが、

いっぽう日本では、

内界からの景観が基本的な視線となり、世界をいわば内側から見ている。

その視線は、自然の広がりや空間の数だけ独立的に存在し、きわめて多様な世界観が成立するが、

しかし「壁の建築」では、

視線は俯瞰的であり、全世界を一つの視点から眺めている。そこに一元的な合理主義や個人主義が生まれる、といいます(山崎正和)。

たしかに、平安時代には、

中国の城壁の建築に対して、和風の寝殿造りが生まれ、

屋根は水平に保たれ、床からの景観が重視された。

また祭事では、注連縄を張り、

地面に白砂を敷き、祓をして神聖な領域をつくった。

つまり、目に見える物理的な壁を設けず、自他を隔絶させずとも、内側の独立性や場の神聖性は保たれた。

どうやら「床の建築」からは、

個々の場の聖域性や内面の自立性が見出だされ、

その他にも自然や他者と様々に交感する多様性などの歴史的な性格をも導き出せるようですが、

そもそも中世日本の武家の館は、

先祖祭祀の場であるとともに、無断侵入者は殺害しても罪には問われない一種の聖域であり、

幕府や領主であっても容易には踏み込めない、刑法上の一種のアジール(※権力の及ばない避難所)的な性格がありました(勝俣鎮夫)

また、西欧のいわゆる「法の支配」は、

何人も法(コモン・ロー)以外には拘束されないとする歴史的な概念や原則ですが、

前近代日本における「家」の独立性や不可侵性もまた、

武家階級だけでなく、身分差や地域差を超えた社会の基本原理となっており、

さらに共同体の個々の成員の自立性を

ある程度前提にした秩序といわれます。

こう考えると、

諸外国の「壁の文化」は

一元的な合理主義や集権主義へと向かうのに対して、

日本の「床の文化」は、家の伝統的な聖域性、居住者の多様性や自立性と深く関係し、それが、

今日のロックダウンや外出禁止の法令の有無、強制のあり方にも影響している……

とまで断定するのは些か早計でしょうが、

しかしながら、優れた法や制度は、人為的・作為的にはつくり出せず、

歴史慣習にもとづき生成される(サヴィニー)とする歴史法学派、

あるいは「自生的秩序」の思考法メンガーハイエクら)は、

いぜんとして現在でも有効と考えてよいのではないでしょうか。

つまり、法や制度は、本来、歴史伝統にもとづくことで、真の効果や成果を発揮するということを、

今回のコロナ対策の各国のあり方は如実に示している、

と同時にまたそれは、

我々の持つ文化的な特性や歴史的な性格をも、あらためて教えているのではないでしょうか。


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