doi_iku’s blog

LINEブログから引っ越しました。

「台所」の日本史🍚🍙🍤🍰

DSC_0101.JPG
歴史のことば劇場④
台所の日本史

 子供のころ、時代劇で
将軍の妻のことを「御台所(みだいどころ)」と呼ぶのを聞いて、
「あんな身分の高い女性が、台所に立つはずないのに…」
と不思議に思った覚えがあります。
台所の語源は、
宮中の「台盤所(だいばんどころ)」にあり、
台盤所は、天皇の御所である清涼殿(せいりょうでん)の西廂(にしびさし)にありました。
そこは
天皇のお食事や宴会のための配膳室であり、
地位の高い女房たちの詰所(つめしょ)も兼ねていました。
そのため、平安後期には
「御台所(台盤所)」として
大臣などの正妻をさす称号になり、
それが武家に転用されたのは
「天下の尼将軍」と俗称される
北条政子のときからとされます。
いっぽう
平安絵巻では、井戸端で女たちが雑談や洗濯をする様子も見えますが、
いわゆる「流し」が屋内にできるのは、
室町後期の簀子流(ずこなが)し
が原形とされます(歴史学事典2)。
この室町時代といえば、
書院造の畳や障子、床の間などの
現在の和室に通じる日本家屋の原型が生まれた時代でした。
つまり、台所とは
名称としては、宮中に起源があり、
王朝文化が武家社会へと流れ込む中でその基本形がつくられ、
武家や大奥でも「御台所」が女性の最高位を意味したように、
「台所」とは、
日本の女性文化における頂点と標準的なあり方との、その両者をいわば象徴的かつ集約的に、巧みに表現した名称であった
といえます。

「猫」の目からみた明治の台所の記録もあります。
苦沙弥(くしゃみ)先生の家には、
いまだガスも水道もありません。
ご飯も竈で焚き、汁物や煮物、焼魚は七輪を使い、
江戸時代がまだ続いている感じです。

昔の台所は、
囲炉裏端や土間にしゃがんだり、
何度も部屋に上ったり下りたり、
水汲みに出たりと、
それはそれは重労働でした。

こうした台所の「座式(ざしき)」から
現在の「立式(たちしき)」への移行は、
大正末期に起った
キッチンの大変革でした。
大正18年建築の
原宿の同潤会アパートには、
最新式の「立流(たちなが)しと調理台」
が備えられ、
世の女性の憧れの的となりました。
当時、新聞や婦人雑誌では
「理想の台所」に関する
懸賞つきアイデア募集が行われ、
ここから、
現在のシステムキッチンの走りとなる、
流し台や調理台、ガス台が、
セットで開発されました(小菅桂子)。
KIMG0118.JPG
つまり、
台所の「近代化」というのは、
明治維新ではなく、
大正末から昭和初期にかけて
起こった画期的な出来事でした。
また、
カレー、コロッケ、フライなどの洋食が、
庶民の食卓に上るのも
この頃で、
いわゆる料理学校の講習会、ラジオの料理番組も始まり、
電気七輪、トースター、電気ポットなど、
第一次家電ブームが起こったのもこの頃でした。
昭和6年の『主婦之友』の
毎月の発行は60万部、
『婦人倶楽部』が55万部、
『婦女界』35万部との
驚くべき数字になり、
これらの女性誌は、
主婦のみならず、職業婦人や女工さんにも
愛読されました(斎藤美奈子『モダンガール論』)。
KIMG0129.JPG
つまり、
ごく普通の女性の
ごく普通の生き方、庶民の暮らしに、
世間の最も熱い注目が集まりはじめたのです。
また、こうした
「新しい台所、新しい便利な住まい」に向けた創意工夫の中から、
ごく普通の女性の、
ごく普通の生活が、
最もおもしろく、最も刺激的となるような「現代」という時代が始まった、
とも考えられるようです。

KIMG0130.JPG
KIMG0132.JPG